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アフガニスタン人と錦糸町と祖国


私の友人でボビーと呼ばれているアフガニスタン人がいました。

 彼は私がお台場でアルバイトをしていたときの友人?知人?バイト仲間?でした。私のアルバイト先はお台場のイタリアンレストランで、まだお台場にはフジテレビも何もなく、海岸前に4軒の飲食店があるだけでしたが、とてもお洒落?な最先端?(今思えば何が?)のレストランでした。深夜になれば芸能人もよく来る店でしたし、開店前はだいたい10~30人位の行列になる店でした。そこで私は基本はフロアにでてましたが、人数が足りないときはキッチンにいれてもらい、サラダ~ドラゴンフライ(ブルスケッタの仕込みから焼きまで)~まかない、までの料理はまかせてもらうようにもなりました。そこにボビーは基本皿洗いということで店のメンバーに加入しました。

彼は皿洗いでしたが、深夜の時間帯(お客様も少ないのでスタッフが割と自由に動ける)になると、よく料理も手伝ってくれました。ボビーはその店のメニューは「だいたいできる」と言っていて、ある時は実際に作って隠れて「NOさん、NOさん」と僕だけを裏に呼び料理を食べさせてくれたりしてくれました。なぜボビーがわたしだけに親切にしてくれたかというと、ボビーはその店ではいわゆる「いじめ」「差別」の対象でした。深夜の時間帯の時は私は親父の車を借りてアルバイトに行っていたので(でないと終電がとっくに終わっていて、足が無いスタッフはお店で呑むか仮眠して始発で帰る)、そんな彼を見ていて私は、よく深夜の営業が終わった後にボビーを乗せて帰っていたのでした。一度ボビーが私に「なんでNOさんは私に優しくするんだ?」と聞かれたことを覚えていますが、なんと返事したかは忘れました。

そんな彼は実は池袋の居酒屋のオーナーでしたが、驚く事に私がお台場の店を辞めた後は錦糸町のロシアンパブの店長もやってました。当時は錦糸町はロシアなお店が結構ありましたね。よくボビーから「NOさん、特別だよ!遊びに来たら安くするよー!」と言ってくれていました。今、思えば一度行っておけば良かったですね(笑)
池袋のお店は実際に1度行ってみたところ確かにボビーがオーナーでした。「なぜお台場でアルバイトしているのか?」と不思議に思い聞いたところ「池袋のお店は右腕が切り盛りしているから大丈夫、僕はもっと稼がなくてはいけないから」と言っていました。

それから、私はアルバイト先を六本木に移しボビーと一緒に働くことは無くなりましたが、たまにボビーとは連絡をとっていました。

その日は久しぶりにボビーから電話があり錦糸町で会う事に。その日のボビーはいつもの優しい顔とは少し違い、神妙な面持ちで忘れることができませんでした。

久しぶりなので一通りお互いの世間話も終わりかけた頃、ボビーは私に言いました「NOさん、僕はもう祖国が滅茶苦茶になるのを見ていられない。僕は祖国に帰って戦うことにした」「NOさん、会えるのは今日で最後かも知れない」


彼の祖国はまたも時代に翻弄されるのでした。
アフガニスタン紛争 (2001年-) 

あの言葉のあとは覚えていません。きっとショックだったのでしょう。その後ボビーとの連絡は途絶えました。今ボビーは生きているのだろうか?生きているとしたらもう初老くらいだろうな。でも実は日本に帰国してまた居酒屋を経営したりロシアンパブの女のケツ追いかけてるかも知れない、、、


いつになるかわからないけど、いつかボビーが守ろうとした祖国をこの目で見てきたいと思っています。もし私がアフガニスタンに言ったら「あ~、ボビーに会い言ったんだ」と思ってください。彼の守ろうとした祖国が今どうなっているか。もし1/何億の確率でボビーに会えたら、、、


ウィキペディアより抜粋
「2019年1月の時点で、ターリバーンがアフガニスタンの郡の12%を掌握・勢力圏内に入れている。タリバンの勢力が拡大しつつあるという意見もある。8月、アメリカ合衆国とターリバーンとの間で8回目の和平協議が行われた(アフガニスタン和平プロセス)。9月、第四回の大統領選挙が実施された。12月、中村哲 (医師)が殺害された、、、」
「2020年2月29日、アメリカ合衆国とターリバーンの間で和平合意が成立した(アフガニスタン和平プロセス)。アメリカ合衆国は135日以内に駐留軍を縮小し、14ヶ月後にNATO軍と共に完全撤退すること、ターリバーンはアフガニスタン国内で攻撃を停止することが決まった、、、」



ボビーのあの人懐っこい笑顔は今でも忘れない。あの頃に「錦糸町 小松」を知ってたら、きっと二人で呑みながら下世話な話やアフガニスタンのヤバい話でゲラゲラ笑ってただろうなぁ、、、またホビーと呑みたいなぁ。。。


で結局なにが言いたいかというと、、、
NO SEKAIと行くアフガニスタンツアー、一緒に行きませんか?という営業話でした(笑)
最後まで私のつまらん思い出話にお付き合いいただきありがとうございました。

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