宝くじは買わないと当たらないことを教えてくれた大学受験
毎年3月になると思い出すことがある。
高校3年生の約1年間を費やした大学受験である。わたしは現在、中の上でも中の中でもないそこそこの大学に通っている。そして、そこそこ勉強をしてそこそこの成績をとっている。
そんな人間の大学受験でそこそこ頑張った話をしようと思う。
進路を決める
わたしが大学に進学することは高校に行くぐらい当たり前のことだった。わたしの高校では、おそらく半分以上が大学に進学し、兄も同じ高校を卒業して大学に行く選択をしているからだ。
進路を決めるということを考える第一歩は、模試で判定をしてもらうために大学を選んで記入することだった。最初のうちは、知っている大学を適当にいくつか書いていたが、なぜか初めから私立大学しか書いていなかった覚えがある。数学をやりたくなかったからだろう。数学の授業は毎回寝ていた。
そんなわたしが今の大学に行きたいと決めたのは、高3になったばかりのときである。池上彰が好きだったわたしは、現代社会のことを学びたいと思い、社会学系の学部がある大学を探した。いくつかの選択肢がある中で、あと約1年かけて勉強を頑張ったら入れそうな大学を選んだ。あとは、学校が都会にあることも重視した。田舎から田舎に出るなんてありえないと思っていたからだ。
最後までE判定
目標ができたわたしは、それに向かって勉強をすることになった。受験科目は、自己推薦で英語と国語、一般入試はそれに加えて世界史があった。英語は好きだったが得意ではなかったため、塾に通うことにした。学校の授業が終わったら、教室に残るか塾の自習室へ行き、それなりに勉強していた。
それなり程度の勉強のせいか、模試の結果はいつもE判定で、結局最後の模試まで結果は変わらなかった。
何回も不合格
模試の判定は正確だ。自己推薦も前期試験もセンター利用も全部落ちてしまった。前期試験が落ちた日に、晩ご飯にパスタを食べていたら涙が溢れてきてスープパスタになった時のことは一生忘れない。なんでこんなにも頑張れないのかと自分を責めていた。応援してくれる家族や受験が終わったら遊ぶ約束をした友達、試験の時に泊まらせてくれた親戚に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
諦めたけど諦めなかった
前期試験で全部落ちたわたしは、周りに申し訳ないという気持ちだけをひっさげて後期試験にも出願した。最後まで頑張る姿勢だけは見せておこうと思ったのだ。出願はしたものの、後期で受かる人なんて数人しかいないし、全くやる気が出なかった。海外のリゾートホテルかなんかで住み込みで働いて自由に暮らすのはどうかと真剣に考えた1日もあった。それでも惰性で勉強は続けていた。
後期試験には、旅行に行く気持ちで出かけた。2泊3日の旅行の途中でちょっとだけテストを受ける。めんどくせーなー。そう思いながら試験を終えた。
合格発表の日、諦めて試験に臨んだにもかかわらずかなり期待している自分がいた。結果はお昼頃に発表される予定てある。早くに目が覚めたので、発表までの時間が耐えられなくてこたつで二度寝した。
おーい、なんか書類届いとるよ〜という祖母の声で起こされた。大学からである。ほとんど諦めていた大学に合格していた。家族や先生、友達にすぐに連絡した。諦めなくてよかった!ありがとう!と。
落ち着いた頃、合格したのはなぜか考えてみた。試験科目が国語と英語しかなかったから。ただそれだけの理由だ。国語は得意であったし、英語はそれなりに勉強していたから。
わたしがこの大学受験で学んだことは、気持ちで諦めていても行動してみることが大切かもしれないということだ。諦めない気持ちだけ燃やしていても、出願しなければ合格しない。とにかくやってみれば、まぐれでも偶然でも奇跡でもうまいこといくかもしれない。
宝くじは買わないと当たらない。そういうことだ。
当たり前のこと言ったなあ
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