NEO表現まつりZ|プロデューサーロングインタビュー
◯タイトルの意味と、「まつり」に込めた想い
-今回のタイトル『NEO表現まつりZ –技術開放!芸術家たちがなんかやる!!』はどのような経緯で決定したんですか?
日和下駄:タイトルの「NEO表現まつり」そのものは去年考えたので、コンセプトとしては去年考えたものの発展系になります。2021年と2022年は「活動報告会」という形でやっていて、そこで問題になったのは『活動報告会って言ってるけど、活動報告をする会じゃないよね』っていう笑。そこから形態を変えるにあたって、有志で名前を考え直そうってことになったんですね。そのとき体感として、「まつり」っていうフォーマットがいいんじゃないかと思いました。
最初、「西尾久表現まつり」っていう候補が出て、このとき「表現」っていう言葉が出たんですよね。最初、「芸術」とか「演劇」という言葉も候補に出てたんですけど、『「芸術」とか「演劇」を使うとハイコンテクストに見えるよね』と得地くん(お布団主宰)が言ってくれたんですよね。その頃にはもう町との繋がりがちょっと増えてたし、町の人にも来てほしい気持ちがあって。今、「表現」って言葉は一般の人にも受け入れられているらしいし。
あと別の面として、アトリエは必ずしも作品を作ることだけが目的ではなくて、作品を作る以前の表現の手法とか、アーティストのまとまっていないものを一旦アウトプットしてみる場としての機能があるんですよね。アトリエのメンバーと事業をやるときに、試行錯誤の場であるアトリエの延長線上でアウトプットして欲しいという想いがありました。普通の作品をやるのであれば、それぞれの公演とか展示の形でやってもらいたいなと思ったので、「表現」という言葉にしたんです。
それから、カゲヤマさんが『西尾久をぼくたちが背負えるのかな?』と言っていて、確かに住んでないし町づくりとかもしてないから難しいかもと。逆にエリアを広げて「尾久」なら言葉として背負えるかなという話も出たんですけど、実際にやってるのは旧小台通りっていうすごい狭いエリアだし、やっぱり「西尾久」だしという感じで没に。
「NEO」は、別の名前を調べる中で辿り着いたんです。ここで生まれるのは作品ではないかもしれないけど、それぞれのやってることをさらに伸ばすような、新しいことにもチャレンジして欲しいし起きるのではないかっていう希望も込めてます。『NEO』はギリシャ語由来の新しいっていう意味です。『NEW』は単純に新しいという意味で、『NEO』の方はもう一回始めるとか生まれ直すみたいな意味があって。それぞれのやってきた活動を踏まえつつ新しいことに取り組んでもらいたいというのと、観客にとっても東京のアートシーンの文脈の中で、新しいものを見せるような「まつり」になってほしいなと思ったところから『NEO』を選びました。
アルファベットと漢字と平仮名と混じってるのは結構意図的で。『ねおひょうげんまつり』という音が決まった時に、いろんな文字があった方が今っぽいかなと思って、『NEO表現まつり』になりました。
-表記の話おもしろいですね。今回はやっぱり平仮名の「まつり」のイメージがある気がします。実際準備が進んできて、平仮名っぽいなと思う部分はありますか?
日和下駄:始めた当初思ってたかはわからないですけど、既存のものを見ると、漢字の「祭り」だと歴史性を背負っているなと思って。三社祭とか。平仮名の「まつり」って、子ども会みたいな軽いものとして使われてるなと思って。この「まつり」やるときも、そもそも『一生続けてくぞ』とか『これが歴史になるぞ』って気持ちは全くなくて。「まつり」という一つのフォーマットを使いたいというだけだった。
「まつり」に来た人と、何か出し物をする人の関係を見たときに、例えば盆踊りとかも来た人が踊っちゃえば、何か出し物する側に回れちゃう逆転みたいなことがあって。その構造を芸術にスライドさせて、いわゆるアーティストという提供する人たちと観客と呼ばれる受け取り手という関係をもっと緩めていきたかったし、容易に逆転し得ることを示したかった。
◯西尾久という街との関わりと、「まつり」までの道のり
-いわゆる劇場とか閉じたところではなく、町の中で「まつり」をやるとなった時、町との接続や関係はどうですか?
日和下駄:「NEO表現プロジェクト」という名前でやってるこの事業は、円盤に乗る派がアーツカウンシル東京の3年間の長期助成を受けていて。インディペンデント性が強い演劇団体が資本的な側面を背負ってやるとなった時に、一般的な芸術祭みたいにお金はかけられない。
どうやったらお金をかけないでやれるかと考えた時に、町の場所とかを使ったほうが安いのではないかとなったし、たまたま「円盤に乗る場」の場所として選んだ西尾久に染み出していく形でやれたらいいのではという感じで、町に声をかけ始めて交流を持つようになりました。今回の会場にもなってる「おぐセンター」の店長の森下さんに話しかけたら、『声かけられたくないのかと思ってました!笑』って言われて、こっちも『急に来たから声かけていいものかと思ってました!笑、お互い同じこと思ってたんですね』みたいな感じで仲良くなって。「乗る場」も「おぐセンター」もコロナ禍に作ってて、「おぐセンター」は2階にスペースをつくってイベントをやっていこうとしてたけど使えないまま持て余してた。『使ってもらえるならこちらとしてもとても嬉しいです』となって、劇場でやるよりは安い値段で貸してもらえて活動報告会をやって。『他にも場所ないですかね』って相談したら、「おぐセンター」は東京R不動産が運営してて町のハブみたいな機能を持ってたので、「梅の湯」とかも紹介してもらって。
町の人ともある種の関係性が生まれてきてる時に、「乗る場」の近くに「防災スポット」っていう広場ができて、「梅の湯」の栗田さんっていう店主の人がイースターのイベントをやってて。話してみたら紹介できますよと言われて「防災スポット」も借りれるという感じになって、、、
得地くんからは『すごろくみたいにゴロゴロ転がってうまくいくんだね』って言われたけど、一人に会ったらこの人にも会ったらいいよってなって、その人に会ったら次の人紹介されて、ゴロゴロゴロって大きくなっていったって感覚がありますね。
町を盛り上げたいとかってことは全然なくて、声をかけ始めたときもこっちの都合だし、話す時に全員に『僕たちは町おこしをしたいわけではないので、期待されても答えられないんですけど』と言ったら『別にいいと思います』みたいな。「梅の湯」の栗田さんは町の人でイベントとかをたくさんやってるけど、地域おこしの気持ちでやってるわけではなくて、ただ単に土日になるとこの町からは人がいなくなっちゃうから、土日ぐらいは楽しい町に出たいからという気持ちでやっているらしくて。他の町に比べると栄えてる感じではないしシャッターも少なくはない。でも町の人が個人的な気持ちから盛り上げようとしてて。自分たちもどこか勝手にやってるけど、町にとってもいいみたいな感じになるといいなと思っている、という距離感ですね。
-野外の「防災スポット」でパフォーマンスがあると、通りかかった人が目にするみたいなことが実際に起きそうだから楽しみですよね。
日和下駄:「まつり」だからやっぱり野外でやりたいという気持ちは一年目からありましたね。活動報告会から「まつり」に変えるとなった時に、制作と運営で入ってる半澤さんと話して、『結構でかい事業になるから、二カ年計画で考えた方がいいでしょう』と。それで一年目の『NEO表現まつり』のときは、練習というか、次の年に大きなことをやるための地固めみたいなこととしてやる方向だったから、野外でもやれる今年のほうが最初にイメージしてたことに近いかもしれないです。
◯プロデューサーとして「まつり」を運営すること
-今日はプロデューサーとしての下駄さんにインタビューしてますが、普段は俳優をやってるじゃないですか。今13組のアーティストと、会場とか行政とかすごくたくさんの人とやり取りをしている様子を見てて、頑張りとかこだわりとか教えてもらえますか?
日和下駄:正直『全部頑張ってるよね』と思ってて笑。やったことないし。
最初やると決めた時に、「ディレクター」を名乗るか「プロデューサー」を名乗るかという選択肢があって。結果「プロデューサー」を選んだのは、俳優としてやってることが生かせるんじゃないかなと思ったのが理由ですね。そもそものコンセプトはカゲヤマさんが立てたんですね。だから、僕が考えたものではない。今では続けていくうちに僕が考えたものも結構入ってきてるけど一年目は違ったし、今でも元にはやっぱカゲヤマさんの考えた指針みたいなものがある。それを使って僕が何かしらアクションをして何かを起こしていくっていうのは、俳優として、戯曲・演出っていうものがあって、演技って形でアクションを起こして何かことを起こしていくみたいなことに似てるなと思ったんですね。「ディレクター」は自分でコンセプトを考えなきゃいけないじゃないですか。僕はもうすでにあるものの中に人を配置してって導いている感覚があって。元を作ってるカゲヤマさんのある種の戯曲というか、ディレクションが強い中で僕が「ディレクター」をやるっていうのは変だし、できなそうだなと思った。「乗る場」にいる人とあるコンセプトっていうものを僕が読んで、それをアクションして、何かこの場を作ったり変えていくっていう意味で「プロデューサー」を名乗ってる。僕自身演技をしている時もそうだけど、『こうしたい』という意識がなくて、むしろ『こうした方がうまく流れるな』みたいなのが強いですね。
「プロデューサー」としては、できるだけ話すようにはしてるかなと思いますね。「プロデューサー」をやるときに、FINALFANTASYのオンラインゲームを作った人のインタビューを読んでて、『プロデューサーに必要な能力って何だと思いますか?』という質問に、『判断を迷わないことと丁寧に説明することだ』というふうに書いてあって。円盤に乗る派の制作業務を手伝ったりこまばアゴラ劇場で働いてたからまったくの素人ってわけじゃないけど、なんかもう真似るしかないと思って笑。だから判断はできるだけ迷わないし、曖昧にはしないっていう風に決めてるし、できるだけ丁寧にコミュニケーションを取るようにっていうのはそこからきてますね。
-「まつり」開催まで3週間もないくらいで、全体像が徐々に見え始めてきてると思いますがどうですか?
日和下駄:演出家みたいなことを言うけど、開いてみるまでわかんないなっていうのが正直なところではあります。でも僕は3年間ずっと見てきてるし、手を動してやってきたので、どんどんレベルアップしてるなと明確に感じてます。
『NEO表現まつり』をやるときに、『参加する人は基本的には継続してください。自分の中でテーマを持って、それを発展させていってください』という形で伝えてたので、今回参加してるアーティストの多くは継続して参加してくれてる人たちで、その部分の発展もあるし、ある種の関係性みたいな部分も培われてるなっていうのがありますね。面談とかもしながら2年間話し続けてきたから信頼関係ができてきる。もちろん『やめてもいいよ』とも言ってたので、やめる人もいるし、逆に新しく入ってくる人もいて、そういう意味では新しいことも起きてます。
あと運営体制かなり改善してきてて。最初に入った時は、全部がギリギリで笑。事前に準備できるようにしてきたけど、活動報告会から比べるとちょっと大きくなってきてて、比例するようにリソースが足りなくなってきて。去年やり切った後に、もっとちゃんと人を増やしてやろうと思って、そういう場が作れたのはよかったです。
カゲヤマさんが考えたコンセプトがあって、僕のフィルターを通して考えたコンセプトがあって、このコンセプトをもとに人が集まっていて、なんとなく、もはや僕がいなくても前に進んでいくっていう状況が作れてるっていうのは、自分がやりたいことなんだなと思って。そしてそれはすごい嬉しいことでもあります。うまくいってる部分も、もちろんうまくいってない部分もあるけど、前に進んできてるなっていう感じはしてます。
ただ、一方でちょっと大きくなりすぎたなと思う部分もあって。自分の手のひらにあるものって掴みやすいんだけど、僕は今、転がしていってるから僕の範疇を超えてる。この転がっていくものがどうなっていくかは僕にはわからないけど、しっかり見ることだけはしてる状況になった時に、この「まつり」の主軸って誰なんだろうみたいなことになると思う。それは僕の望むところでもあります。
ある東京のある地域に「西尾久」という地域があって、そこにはアーティストとか地域の人を含めた人たちがいて、その人たちが何かの枠組みの中にいて、何かをやってる。その集まった全体が「まつり」というフォーマットの中で何かやってて、集まってる人たちが作る空気というか、環境そのものに興味がある。だから現地に来ないとわからないし、事前に伝えるのって結構難しい。来るとだいたいみんな、『いい町だね』って言って帰っていくんだよね。いいものを見ていい町だねって、なんかそういうことだと思う。夏祭りって祭りの雰囲気を楽しみに行くじゃない。なんか夏だし、祭りの雰囲気、行っとくかみたいな感じで、別に美味くもないかき氷とか食うわけ。それだと思う。ちょっと休日に「まつり」にきて欲しいって感じですね。
インタビュー・編集:中條玲
『NEO表現まつりZ –技術開放!芸術家たちがなんかやる!!』
会期|2024年6月21日(金)〜6月30日(日)
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