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畠山峻|うつわが欠けた

これといった目標のない毎日が続いている。外出自粛が始まってから最初の一ヶ月は結構楽しかったが、二ヶ月目に入ってから気持ちがやられてきている。くさくさして色々とやる気が起こらない。すごく平和な時間を過ごしているようにも思えるのだけど、テレビをつけると恐ろしい情報が流されていて、そのギャップとみえないウィルスへの恐怖に心がかき乱される。経験上こういう精神状態の自分に生活の主導権を握らせるとろくなことがおこらない。安い酒を買い、良くない飲みかたをするだろう。
だから何か日課が必要だと思った。

そういうわけで一日一度散歩に出ることにしている。うまいこと朝起きれる日も少ないので、繰り出す時間は日によってばらばらで、出たい時間に家を出る。日が出ていたらラッキーだし、人気のない夜も気を使わないで歩けるから好きだ。

家の近くに大きな車両基地がある。ここは高さ3、4メートルの黒い柵で覆われていて、敷地内は草木が生い茂っている。一般人は入ることができないが、たまに野良猫が寝そべっていることがある。柵を越えて進入したんだろう。しあわせそうにくつろいで寝ている。

この柵沿いの通りは近所で一番猫をみる通りだ。駐車場の角でカートを押したおばあちゃんたちが談笑しながら猫に餌をやっているのをよく見かける。

基地の近くには小さな公園があって、以前ここには三本足の猫が居た。交通事故にでもあったのか、右後ろ足が膝のあたりから無かった。初めて会った帰り道、ちょうどコンビニに寄ったところだったので缶詰をあげてみたらうれしそうにぱくぱくと食べた。食べ終わるとうれしそうに鳴いて、2、3歩ついてきて、すこし撫でて別れた。その日の晩酌につまみは無かったけれど十分に満足する事ができた。

それから何度か出くわすことがあったけれど、最初にあった時からずっと、不思議なくらいこちらを怖がらない猫だった。週1くらいで見かけてそのたびに背中を撫でていたのだけど、二ヶ月程たった頃から、見かけることはなくなった。おんなじような毛色の猫も付近ではみたことがない。他の猫と一緒に居るところもみたことがない。会うのはいつも夜だった。きれいな眼をした灰色の猫だった。

大通りをまっすぐ進んでいく。

大きな公園があるのでそこの並木道を歩いていく。市の取り組みでとても丁寧に整備されていて、天気の良い日は背の高い木々の間から光が差し込んできてとてもあたたかく、気持ちが良い。ランナー、ベビーカー、ペットの散歩などで公園はにぎわっている。

並木道を抜けて交差点を曲がり駅前のスーパーで夕飯の買い出しをする。時間が有り余ってるから凝った自炊をすればいいのだけどどうにも面倒くさくなってしまって、コロッケとか唐揚げとかサバの味噌煮とか適当なのを買ってきて晩のおかずにする。日によって酒は飲んだり飲まなかったりする。

夕飯を終えて皿洗いをしていたらどんぶりが欠けてしまった。落としたわけではないから、たぶん他の食器とぶつかって欠けたんだと思う。小さなUの字が縁にできたけど、使用不能になるくらいのことじゃない。汁物なんか啜るときにちょっと気をつければいいだけだ。でも、それだけのこととわかっているはずなのに思いのほかショックを受けている自分がいた。
これはいったいどういうことなんだろう?

別に取り立てて大事にしている器ではない。高価なものではない。十数年前の上京当時に高円寺の雑貨屋で買ったものだ。その店は安い割には洒落た装飾のものが多くて上京当時はけっこう利用していた。内側に七福神が描かれたどんぶり。U字に割れたのは踊る寿老人の、禿頭の先っちょのところ。北欧風の雑貨の揃った店内で何でわざわざこれを選んだのか今ではさっぱりわからない。わからないのだけど実家の棚にあった茶碗とか日用品で、ふと思い出したり不思議と心に残っていたりするのはそういうものだったりする。もう忘れられたヒーローの絵が書いてあるプラスチックの茶碗だとか、今はない企業のイメージキャラクターの描かれた爪切り。実用性の遠くで心に残り続けるものがある。きっとそんな感じに知らない間にこのどんぶりにも愛着が沸いてたんだろう。
物はずっと長く生きる。

4年位前に上野にある東京国立博物館で禅の展覧会を観にいったことがある。雪舟の慧可断臂図や白隠の達磨像など、禅に関して入門書を数冊読んだくらいの自分でも知ってるくらい、有名なものがいくつも展示されていた。狩野派だかどこだかの、止まっている時間と流れている時間が共存しているような滝を描いた屏風も、美しくて良いものだった。
その中でもとりわけ自分がひかれたのは中国からきた茶入れを集めたコーナーだった。ガラスケースの中にポツンと蓋の付いた小さな器が置かれている。ただそれだけのことなのにこころが躍る。こういう言葉で表しようのない興奮に出くわすときに芸術って良いものだなあ。と感じる。蓋で閉じているということにもとても興奮した。大昔の空気が器を満たしてると考えたら、途方もないことのように思えた。実際密閉されてるわけじゃないからそんなはずはないし素人考えの単なるロマンでは有るのだけど。

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