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単行本に「解説」が付いていた理由を考えてみた

「書評」だとか「解説」だとか、いろいろある。
私は小説をよく読むのだけど、この「書評」や「解説」も必ず読む。
しかし、この「解説」が意味不明、とまでは言わないけど、
「よくわかんないんだけど」というのが割と多い。
もちろん私の理解度の問題もあるんだけど、その分を差し引いたとしても
なんだか小難しいというか、解説者だけの世界観で書かれているというか、
要するに面白くない。

しかしこれは違う。
令和版現代落語論〜私を落語に連れてって〜の副読本だ。
私の知識で言うと、ほとんどの単行本には解説はなく、文庫本になると
加えられていることが多い。なので、この「令和版現代落語論」にも
本書内には解説は載っていない。別冊(小冊子)*としてついてくる。
*残念ながらこの副読本は限定販売の分にしかついていない(らしい)
この副読本がなんとも素晴らしいのだ。

この副読本の筆者は、広瀬和生氏。
広瀬さんってこんな人。

別の顔として、音楽評論家であり音楽雑誌の編集長でもある。ヘビメタとハードロック系らしいが、私はそちら系の音楽は全くわからない。そもそもハードロックはヘビメタなのか聖飢魔IIはどのカテゴリなのかもわからない。
そういえば聖飢魔IIのデーモン小暮閣下は無類の相撲好きだ。相撲も日本神話に登場するくらい歴史がある。今のような形式になったのは江戸時代に入ってからで江戸文化によって大衆にも楽しめるようになったらしい。
落語と相撲。ハードロックに通じるものがあるのか。

で、広瀬さんに戻ろう。
無類の落語好きと聞いて、きっとものすごくいい人なんだろうと推測する。しかもNHKの新人落語大賞の審査員をと務めたり、新ニッポン話芸という広瀬さんプロデュースの落語会も開催している。これはただの落語好きではないだろう。しかも東大工学部卒。なんだかよくわからない。

前回、私はこの本について実に自由に書いた。

最初になんでもいいから談笑師匠の何かを聞いてから読んでほしい
そう書いた。それはもちろんそう。絶対に声を聞いてほしい。
それは変わらない。でもこの副読本には触れていないかった。
何はさておき!のように書き急いでしまった。

しかし、もし手にとってその「令和版現代落語論〜私を落語に連れてって〜」に副読本がついていたら。
まず最初に読んで欲しい。いや、最後でもいい。いや、途中でもいい。

とにかく読んで。
落語の
「そのものとして欠くことができない=本質」
が、手に取るようにわかるから。

令和版 現代落語論〜私を落語に連れてって〜

さあ、もう一度読もう。
誌上ライブのはじまりだよ!


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きたがわたまき
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