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天險は升る可からざるなり。地險は山川丘陵なり。王公、險を設け、以て其の國を守る。險の時用大なるかな。(易経・坎為水)

天險は升る可からざるなり。地險は山川丘陵なり。王公、險を設け、以て其の國を守る。險の時用大なるかな。

(現代語訳)
天の険阻なることは、その高さゆえに昇り難いことである。大地の険阻なることは、山や川・丘陵があるゆえに進み難いことである。王は城壁や堀・兵器などの険阻なるものを設けて、それをもって己の国家を守る。かように険阻なるものを用いるべき時の宜しきことは、まことに大いなるものである。

(易経・彖伝より「坎為水」)

易は、①リーダーシップ論としての古典教養であり、かつ②危急存亡時における意思決定ツールである、というのが私の持論です。

易=占い、というのが一般的な認識でしょうが、占いは「当たる」or「当たらない」が全ての価値基準となっているものです。

然るに意思決定とは、人間が固有する「精神の自由意志」を如何に正しく使うかどうかが価値基準となるものであって、その意思に伴う行動の結果予測が当たるか当たらないかは、ランダムな不確実性に左右されるものでありますので、やや極論ではありますが正直どうでもいいのです。

当たらなければ、その時点でまた改めて意思決定すればよいのです。
要は、その時点における最良の意志決定をし得たか否かが重要なのです。

易とは、陰陽の組み合わせによる二進法(陰=ゼロ、陽=1)によって、この世界のあらゆる事象を表現しようと試みるものです。
六桁の二進法の組み合わせは、全部で二の六乗、すなわち64通りとなります。この一つ一つの組み合わせを「卦(か)」と呼びます。

それぞれの「卦」には、意味が付されております。
例えば今回ご紹介した「坎為水(かんいすい)」は、「たび重なる困難」を表すものです。
たび重なる困難な状況下において、私たちがどう処するべきかを説くものです。

そこに何らかの神懸かり的な奇跡を期待するような文言は、ほぼありません。
ただ「我慢して耐え忍びなさい」と正論を説くのみです。

だから何?
・・・と言われてしまいそうですが、ここで「意味作用」という意志のはたらきが発揮されます。

つまり「我慢して耐え忍びなさい」というメッセージを、ただそのまま鵜呑みにして良しとするのではなく、むしろそこからどのようなインスピレーションを得たのか、ということに重きを置くのです。

つまり易の「卦」とは、それ自体がストレートな答えとなるべきものではなく、隠された(意志決定すべき)対象を露わにする「記号」なのです。
筮竹やコインなどを使ったランダムな手法を通じて卦を得た私たちは、その記号を通じて「解釈」し、隠された「対象」を探し当てて「意思決定」するのです。

例えばですが、この坎為水の卦を得ることによって、進行中の仕事に何らかの落とし穴が潜んでいることに気付いて方向修正することを決断するかもしれませんし、或いは一難去ってまた一難、新たな危機を予感して対策を講ずべきことを決断するのです。

そして、これは私の経験上から来る話ではあるのですが、これらの卦を得て感ずることは往々にして「やっぱりね」の一言に尽きるのです。
今まで薄々ぼんやりしていた本音(=対象)が、易の卦という記号を通じて炙り出されるのです。

つまり、疑惑が確信へと変わるのです。
疑惑が確信へと変わることによって、その確信は行動へと繋がります。
そしてその行動は、何らかの成果をもたらすのです。

この世界は、因果律を越えた不確実性により支配されております。
不確実性は、人智を越えた神の采配です。
易を用いた意思決定は、神の采配に対する人智の挑戦ではないか、と私には思えてならないのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。