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一人称→三人称|新旧『遠別少年』の大きな違い
2月11日からの「遠別少年」装丁展で展示するのは10人のデザイナーとイラストレーターが作ったカバーと原画ですが、本体というか元になる一冊の本が最重要であることは言うまでもありません。
坂川栄治さんは単行本に直接書き込むことで赤字を残してくれました。
左の本です。
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そこに書かれてあったのは一人称を三人称にするという大きな修正。
13の短編が収録されているのですが、単行本ではすべて「私」という一人称で書かれています。「私」が坂川さんであることは時々「エーチャン」と呼ばれていることからも明白だし、それは文庫も同じでした。
しかし今回は12の短編で主人公にすべて別々の人物名前が与えられている。(残りひとつは父と母が語る形式)
例えば最初の短編『白い煙』では「修治」、『麦畑と祖母と飛行機』では「和夫」というように。
これはかなり大きな変換ではないでしょうか。
そのほか細かい表現を変えたところはありますが、ストーリーに変更はナシ。
でも主人公の名前が違っていると、やはり少し味わいが違うような気がするのです。
「私」ならどの人物も少年時代の坂川さんを思い浮かべて読むことができます。「子供の頃は痩せていた」らしいので中年以降の坂川さんのイメージは補正しなくてはなりませんが。
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それぞれ違う名前になると、別々の人物のように感じてしまうことを(少しですが)抑えられないこともありました。
これまで付き合いのある方のお名前のようなのですが、どういう意図でそうしたのか。それぞれの人に対して、なにかメッセージがあったのか。
今となっては永遠の謎、ですね。