誰が為短歌①

ある晴れた日の春の日に。

俺は初めて君に出逢った。それは桜並木の道の途中。ふわりと木の枝から降りてきた君を見て、俺は驚かずにいられなかった。
まさか、あのか弱いと有名な桜の木に登るようなバカがいるというのにも驚いたし、急に飛び降りてくるのにも驚いたし、何より君は、セーラー服を着た女の子だったからだ。

長い髪をうなじの近くで一つに結わえ、風を受けたスカートをふくよかに膨らませ、君は桜の枝からひょいと降りてきた。
手荷物などは何も持っていないし、学校で使うであろう学童用具を入れた学生鞄も持っていない。
手ぶらで木に登り、降りてきたのだと思った。

「あなた、お医者さん?」

彼女は俺に振り向くようにそう言った。

しまった。彼女の言う通り俺は今、白衣を来ている。中にはつい昨日出勤する前にアイロンをかけ損ねた乾燥機から出したばかりの皺のあるワイシャツに、こちらはクリーニングから返ってきたばかりのネクタイ、それに加えてろくに洗濯にこだわりのないベストを着ているし、俺がまだ新卒の頃に親に買ってもらった年季の入った革のベルトに、これまたクリーニング返り直後のトラウザーズときた。
本当に他人から見れば“お医者さん”の格好だろう。

「い、いや。お……いや。僕はお医者さんでは無いよ。つい一昨年あたりにこの向こうに出来たあの建物の職員だよ。」

俺は来た方向を振り返って指さす。
職場の建物に人差し指の先を合わせて指し示した。

初めて会う女学生と思しき子に「俺」というのはなんだか気が引け、「お」と言いかけたところで「僕」と言い直した。少し不審な言動だっだろうか、彼女はきょとんとした顔で俺の指す方向を見ていた。

「そう、なのね。へえ。あたし、知らなかったわ。あんな所に新しい建物が出来ていたなんて。ありがとうお兄さん、教えてくださって。」

「あ、いえ。」

思ったより素っ気なく返事を返してしまった。それに俺はもうお兄さんなんていう歳じゃないだろう。普段の不摂生さが俺を老け込ませているだろうに。もう、三十代も後半になっている俺にお兄さんだなんて言葉と、その字面は似合わないだろう。

「ところで、お兄さん。お昼ご飯はもう食べました?」

「え、いえ。まだです。今からどこかでと…」

彼女は意外なことを質問してきた。昼飯はまだか、なんて小さい頃に近所のおばさんに言われたっきり、大人になってからは同僚にしか言われないような事を。

「ならあたしとご一緒してくれませんか?今日、お弁当作りすぎちゃって。」

「えっ。……そ、そんな、いいですよ。見ず知らずの方にご馳走になるなんて。」

「いいのよ。さあさあ、どうぞどうぞ、そこのベンチに座ってください。」

俺は彼女に対し、遠慮の旨を伝えた筈だがそれも意味を為さず、くるりと俺の背中側に回った彼女がグイグイと背中を押し、桜並木道に沿うように作られたベンチへ押し込む。
俺はなす術なくベンチへ座ってしまう。

「あ、あの本当にご遠慮します、その…君は、……」

「はい、どうぞ。お稲荷さんです。」

笑顔で蓋の空いた弁当箱を向けてくる彼女。
ぎっしりと、しかし整然と整えられて並べ詰められた稲荷寿司を見て、俺のお腹がぎゅうと反応を返してしまった。

「うふふ、お腹の虫は正直ですね。」

よりにもよって十は年下の女の子に笑われてしまった。

「……すみません、では、お言葉に甘えて頂きます…」

「どうぞ、油揚げは昨日煮込んでからおつゆに漬けておいたからきっと美味しいわ。」

「ありがとうございます。……いただきます。」

彼女に軽く頭だけを下げ礼をし、1つひょいととって頬張った。じゅわり、と甘辛い醤油と砂糖、出汁などの味がする稲荷の皮の煮汁の味がとても美味しい。
程よい酸味と甘味のある酢飯とよく合う。

「……おいしいです。……お料理上手なんですね。貴女は」

「……!…ありがとうございます、……人に褒めてもらうなんて初めて!とっても嬉しいわ!……そう、お茶もあるのよ、淹れたばかりだから、まだ温かいはず。」

そう言って彼女はせわしなく俺をもてなしはじめた。

緑茶と、稲荷寿司。
久々にきちんとした昼食を食べた気がした。

その後、彼女とは「また会いましょう。できれば、この桜の木の下で。」と告げ別れた。

次は俺も彼女になにか美味しいものをご馳走しよう。
と、確かに思えた。

第一節 終劇

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