エホバの証人二世のトラウマ世界〜12年間の歪んだ教育⑪
この文章はある特定の組織や人物を誹謗中傷したり、傷つけたり、貶める意図は全くありません。また、信仰の自由を否定するものでもありません。個人的な感情を凝縮した文章です。古い記憶の中には、間違いや歪曲が多々あり時系列もバラバラだと思いますが、本筋には問題はないので確認作業はしません。
カルト教団の活動内容とその生活
改めて言いますが、僕は宗教自体や信仰を持つ人を否定はしていません。この文章は子供の自由と尊厳を奪う教育がどのような結果をもたらす物なのかを知ってもらう事が目的です。
エホバの証人は自分達信者を「羊」に例え、悪魔を「山羊」に例えました。
聖書の教えだけを守れば良いとされる教団なので、大学へ進学する事も正規に就職することも無用と教えていました。
集会や奉仕活動、自習の時間が長ければ長いほど優秀で、信仰の厚い素晴らしい行いとされ、それによる自尊心を持つ信者もいました。
お祈りをすることが基本姿勢で、ご飯を食べる前、就寝前、集会などの集まりの始まりと終わりなどで行われました。給食の前にもする事を指示されていましたがしたことはありません。でも母親から「お祈りしてるの?」と聞かれたら、「してる。」と嘘をつきました。
神が作った(実際には人間が作った)教えが正しくて、世の中で作られた法はサタン的であるとする教えの中で、制限速度が40キロなら40キロで走行するという車の制限速度を完璧に守る信者がいました。
政治活動への参加は悪。よって選挙への投票は不参加が正しい行為でした。
不純異性交遊とやらが謳われ、人として正常な性欲さえも悪とされていました。
よく言われる輸血の禁止は、輸血と死をどちらかを選択する事があった場合、聖書的には云云かんぬんと書いてあるから、「輸血するぐらいなら、死を選んで楽園で待て」という教え。輸血不可の理由と同じ理由で、血抜きが不完全だからクジラ肉はNG。
運営は寄付で賄われており(大人になってから知りますが教団として投資事業もしている)、会場の家賃も光熱費も信者が手にする書籍も何もかもが寄付でした。
聖書を新調したり、新しい書籍が発行される度、寄付は当たり前に行われ、またそれとは別に定期的に母親は寄付箱にお金を入れていました。ときにお金を子供に手渡し寄付箱に入れさせることもありました。
金額はまちまちだったと記憶していますが、決して少ない金額ではなかった記憶があります。白いご飯や牛乳はたくさんありましたが、かぼちゃの天ぷらやソーセージのケッチャプ炒めなど質素なおかずが多かった我が家の食生活にとってはそのお金はもったいないと感じていました。
僕におもちゃを買ってくれたらとも思っていましたし、遊園地に連れて行ってくれたらと思っていました。
また、他の信者のお家で夕食を頂いた時、自宅でするのと同じように白いご飯のお代わりを要求した僕に、「人数分しか用意していない。」と言ったH姉妹の事も思い出します。何か見てはいけない物を見てしまったようでショックだった記憶があります。
我が家の十数年間に渡る寄付の総額はいったいどのくらいだったのでしょうか。
奉仕活動~僕にとっての迷惑行為
一軒一軒チャイムを鳴らし聖書の教えを広めるという奉仕活動と呼ばれる伝道活動がありました。何故この活動をしているかというと、一人でも多くの人にこの世の終わりであるハルマゲドンが近い事を伝え、一緒に聖書の勉強をして救われましょう。という布教活動の目的があります。
この文章を読んでいる方の中にも経験された事がある方もいらっしゃると思いますが、玄関のドアを開けると二人組が「ものみの塔」や「目覚めよ」などといった雑誌や書籍を片手に立っているあの活動です。
毎日違う地区に集まり訪問をする活動ですが、僕もよく参加させられました。訪問した家が同級生の家だった場合は最悪で、留守であれとサタンに祈りました。そんな中扉を開けたりインターホンにでた人がまさに同級生だった場合は最悪を通り越して悲惨でした。
常々同級生にエホバの証人であることをバレたくないと考えているにも関わらず、自分からエホバの証人です。って名乗るのですから。
母親の横に立っているだけでよかった年少の頃とは違い、大きくなるにつれ自分でも実践させられることもありましたが、心底では信者では無い&適度なコミュ障の僕にはそれは本当に苦痛でした。
自分から率先してやりたいと言った事ではなく、もちろん母親と教団からのプレッシャーから仕方なく行っていた行為でした。
王国会館で教わったこと
週に2回は王国会館と呼ばれる集会場で、週1回は決められた信者の家で週に3回、集会と称される集まりが行われました。端的にいうと聖書の勉強会です。
賛美歌を皆で歌う事からから始まるその集会の内容は、長老と呼ばれるその集会の責任者やそれに準ずる人の聖書の説法を聖書を片手に聞いたりメモったり、書籍の問いを皆で答えたり、スピーチ的なものや対話形式の芝居なども信者が順番で行いました。ある程度の年齢になった僕にも何度か順番が回ってきました。緊張しながらやり遂げた記憶があります。
集会の内容に対して本当よくネタが尽きないなと子供ながらに思っていました。この集会なども「自分から率先して参加したい。」「自分を成長させたい。」「神に認められたい。」などの熱意は全く無く、自分の意志とは関係なしに気が付いたら毎回参加し、行くことが当たり前の一択で、その時間は単に我慢しているだけの時間でした。
忍耐力と読解力、想像力や空想力は充分に鍛えられましたが、自分の人生の時間を搾取されていると思っていました。いつもそんなマインドで出席していました。
集会に行く唯一の嬉しい事は2歳年上のお姉ちゃんのYちゃんに会えることでした。
もちろん子供なので居眠りや集中出来ない時もあり、肘鉄を食らったり、ほっぺをつねられたり、シャープペンで手の甲を刺されたりなどはありましたが、怒られてしまうので一生懸命にやっているかのようなポーズは基本的に欠かしませんでしたし、欠かせませんでした。