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エホバの証人二世のトラウマ世界〜12年間の歪んだ教育⑯
この文章はある特定の組織や人物を誹謗中傷したり、傷つけたり、貶める意図は全くありません。また、信仰の自由を否定するものでもありません。個人的な感情を凝縮した文章です。古い記憶の中には、間違いや歪曲が多々あり時系列もバラバラだと思いますが、本筋には問題はないので確認作業はしません。
僕の赤色と他者の赤色
いつの頃からか僕の見ている赤色は、僕ではない他の誰かにとっては僕と同じ赤色に見えているのかという疑問を持ち始めました。
僕の見ている綺麗な夕日の赤は、他の誰かにとっての夕日の赤とは違う色なのではないかと考えました。
極論、僕にとっての海の青色を他の誰かは、僕にとっての夕日の赤色と認識しているのではないかと思いました。
皆が揃って綺麗と言う色は、それぞれの綺麗であり、誰が見ている夕日の色が一番綺麗とかは、その夕日を見ているその人が感じ決めるのではないだろうかと思いました。
目の構造、神経、脳、それに感覚や心が人それぞれ違うから、見えている景色の色がそれぞれ僕とは違うと考え始め、それはそれぞれの人にとっての唯一の綺麗という真実だと気が付いた時、今までの疑問や不満、すべてが氷解し、目が覚め、心が解放されました。確信しました。
これが僕にとっての自立の始まりで、人生の始まりと言っても過言ではありません。
洗脳が解けたなどではなく、日々の抑圧された苦痛から逃れたいなどとかではなく、
人間がどう生きるべきか、自分がどう生きたいかに気が付いた瞬間でした。
エホバの証人を辞めた時の話
ある日集会へ出掛ける用意をしている母親に僕は言いました。
「もう集会には行かない。エホバの証人も辞める。」
と緊張しならも精一杯自信を持って伝えました。多分僕は中学校3年生でした。母親は怒り、悲しい顔もしていましたが、僕は行かない主義を曲げず、留守番をする事になりました。
母親の帰りを緊張と安堵感で待っていた記憶があります。
僕は母親に話しました。
「エホバの証人が唯一の神エホバを信じ、他の宗教の神やその信者を悪魔と言うのなら、
キリスト教徒が十字架に祈りを捧げ、唯一の神としてキリストに救いを求め、エホバを邪神とするのなら、
イスラム教徒が1日5回アッラーに礼拝しコーランを聖典とし、エホバを異教徒の神とするのなら、
仏教徒が釈迦の教えを守り、極楽浄土を願い、エホバの証人が悪とする南無阿弥陀仏を唱えているのなら、
神の存在を信じていない無宗教の人も、すべての人が、
誰もが間違っていて、誰もが正しい、
上も下も無く、
その人が信じている神様がその人にとっての唯一の神様であり、真実だと思う。
僕の神様はエホバじゃない。
僕には神様はいないし、いらない。
だから僕は、エホバの証人を辞める。
僕は間違っていない。」
と伝える事ができました。
個人の尊厳と自由を尊重するというこんな当たり前の事、それを教える事が教育の根幹だと思います。僕はカルト宗教に染まった母親からそれを隠され否定され、真逆の教育を受けました。
自力で見つけるまでにかなりの遠回りをしましたが、ようやく見つけ出す事が出来ました。
今でもこの言葉は僕の誇りです。
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