エホバの証人二世のトラウマ世界〜12年間の歪んだ教育⑫
この文章はある特定の組織や人物を誹謗中傷したり、傷つけたり、貶める意図は全くありません。また、信仰の自由を否定するものでもありません。個人的な感情を凝縮した文章です。古い記憶の中には、間違いや歪曲が多々あり時系列もバラバラだと思いますが、本筋には問題はないので確認作業はしません。
ドラえもんより大切なもの
エホバの証人の研究生(洗礼前の信者)は、決められた育みの兄弟や姉妹の家でマンツーマンの勉強会を定期的に受けていました。
こんな事を憶えています。
まだ我が家の信仰度合いがそこまで深くなかった頃、19時からF家で行われる研究生である兄の勉強会に付いて行き一緒に勉強してくるように急に母親から言われました。初めての事でした。
それは19時から始まるドラえもんの映画を観るために準備していた僕への突然の命令でした。それはそれは心待ちにしていた番組だったので断固として拒否を示し泣き出した僕に対し母親は強権を使い強制的に家から出発させました。
ドラえもんを観ることができなかった僕は心の底から悲しい悔しいと泣きながらF家へ向かいましたが、F家族に涙を見せる事が恥ずかしかったのと子供ながらのプライドもありF家に着く頃には泣き止みました。
二時間程の勉強を兄と一緒に受け終え、帰宅する折りにF兄弟から言われた一言を今でも忘れられません。
「ドラえもん観たかったのに頑張ってよく来たね。」
カーっと頭と体が熱くなるのを感じました。そうです。すべて仕組まれていたことを察知しました。僕に本気で聖書の教えに取り組ませ始めるタイミングを常々探していた母親は、ドラえもんより聖書が大切であることを教えようとしたのでした。
僕が泣きながら出かけて行った直後にF家に電話をし事情を説明したのでしょう。
あまりの恥ずかしさと悔しさに挨拶もそこそこにF家を飛び出しました。家とは逆方向に歩きながら大人の汚さ、ズルさを身に染みて知った夜でした。
とてつもない屈辱を感じ、子供のプライドはズタズタに切り裂かれました。その日からドラえもんは我が家的にNGとなりました。
控えめに言って「子供にとってドラえもんを観ること以上に大切な事はそうそうない」と今でも思います。
僕にとっての救いと苦しみ
人生の苦しみと引き換えに、自分の意思で宗教に救いを求め足を踏み入れた大人は、例え洗脳されているとしても、教義へ多少の疑問があったとしても、自分の中で折り合いを付け、上手い距離感で満足して、一番居心地の良い所で楽しくやれると思います。
だけど僕のような二世の子供は、そもそもの代償となる苦しみが無く救いなど不必要な状態で強制的に教義に引き込まれ、当たり前ですが不満だらけでした。自分で選んだ選択ではないのですから。
毎日聖書を読まされたり、週に3回の集会や奉仕活動をする事、子供としての普通の楽しみを我慢したり否定する事を自分から望んだ訳ではありません。
それは、「苦しみから救われる」のではく、「苦しみを与えられ続ける日常」でした。本当の本気でエホバの存在やハルマゲドンなんて信じていたのでしょうか。