失敗すること
私は、失敗することは、とても大切なことだと思います。
しかし、日本という国は、失敗に対してとてもネガティブなイメージがあり、失敗を咎めたり、強く否定することが多いです。
昭和や平成の学校教育では、正解することを求められ、その過程を評価されることはほとんどありませんでした。
一方で欧米では、発言することや新しいことにチャレンジしたことなど、その過程を評価してもらえます。
そのような背景も影響して、日本では失敗を過度に恐れ、隠そうとする風潮が強くあります。そのような社会で生きていくのは、とても苦しいです。
いつも人の目や評価を気にしてしまい、人と違うことをしたり、失敗したりすることを恐れながらビクビクと過ごしている人も多いのではないでしょうか?
実際、私もそうでした。
私は大学生の頃、教職を専門に学ぶゼミに所属していました。その頃、子供達に運動を教える経験をさせて頂きました。子供達が運動を通して新しいことができる喜びを知ったり、新しいことに夢中になって何度も挑戦したりする姿を見て、自分自身も何にも変え難い喜びを感じました。
時には、上手くいかず、子供達に退屈でつまらない時間を過ごさせてしまうこともありました。その時は、本当に目の前の子供達に申し訳ない気持ちになり、胸がグッと締め付けられました。
そのような時にこそ、同じゼミに所属する仲間同士で、時間を忘れて話し合い、教材を作ったり、プログラムを考えたりして次に生かそうと考えました。子供達の喜ぶ姿を想像しながら、仲間と議論を重ね、新しい創造することに時間や疲れを忘れ、夢中になっていました。そのような経験から教員を志しました
しかし実際、学校で働いてみると、人と同じことをし、どれだけ失敗しないかを考えることを求められました。隣の学級と授業の進度や活動内容、掲示物など多くのことを揃えなければいけません。また、何をするにも学年主任にお伺いを立て、許可をもらわなければいけませんでした。他と外れた行動をすることは許されなかったのです。
そんな環境にいるうちに次第に、周囲の様子を注意深く気にしながら、新しいことに挑戦することをせず、無難に過ごすようになっていきました。
自分の思いを押し殺し、周囲の評価や目を気にしながら働くのは、全く楽しくありませんでした。どんどん授業も作業的になり、自分の中では主任に言われた通りに無難に行うことが善となっていきました。
そのような環境で働いて10年以上になります。
しかし、ずっと自分の思いを押し殺しているかというと、そうではありません。無難に言われたことをこなすだけでは、目の前の子供達の為にならないと気付きました。
人の評価を気にして、「失敗してはいけない」という思考で働いていた私は、子供のためではなく、自分の評価の為に働いていたのだと気付きました。それでは、関わらせていただく子供達に申し訳ない、可能性を潰してしまうと感じました。
そこからは、少しずつ自分のやりたいこと、必要だと思ったことを勇気を出してチャレンジしています。チャレンジすると言うことは、失敗がつきものです。周りから批判されることもあります。
でも、それを続けていけば必ず周囲の環境は変化します。そして自分自身の可能性を広げ、延いては子供達の成長につながると信じいます。
失敗することは、勇気が入ります。しかし、失敗するということはチャレンジしている証拠です。失敗を振り返りながら改善し、コツコツと進んだ先にしか成功はありません。
ぜひ、この記事を読み、チャレンジしていることの背中を押したり、新しいチャレンジの一歩を踏み出すきっかけになれば嬉しいです。
そのような人たちと、一緒に可能性を広げ、明るい未来を作っていきたいです。