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僕たちが家出を選ぶまで〜家出したり、家出少女の相談に乗ったりしてわかった家出をする理由〜

※この記事は全文無料で読めます

どうも、ホームレスの北です。

ホームレスと言いつつ、実際にホームレスをしていたのは去年の7月〜今年の3月頭くらいまでで、すでに和光にアパートを借り、オープンソースハウスと名付け、ありとあらゆる生活必要物資をほぼ貰い物と贈り物だけでなんとかしているような生活を送りつつ、いろいろなホームレスたちを曖昧に泊めています。

そんなことをしていたら、「どうしたら家出できるのか?」みたいな相談を多く受けることになりました。

ここまでなら、別に大したことはないと思うのですが、家出したい少女の親・学校の先生とまで話すくらいになったのはたぶん僕くらいだと思います。

彼女たちの話を聞くと実はとても面白いことに気がつきました。

なんと、親も子も「親(子ども)が自分の話を聞いてくれない」と言っているのです。

そして、お互いが話さないまま、すれ違いを抱えたままに離れ離れになってしまうことになってしまうのです。

この悲劇の連鎖はどうして起こってしまうのでしょうか?

今日はそれについて考えてみたいと思います。

一応、彼女たちのプライベートもある....というか、彼女たちが積極的に自分の家出体験をコンテンツ化しようとしているので、メインは僕自身の家出体験の話になります。まあ、ちょこちょこ登場するとは思いますが。



パターン1:子がまともに話を聞ける状態にない

「え!?家出する人が悪いの??」

と思われるかもしれませんが、別に彼ら彼女らの人格を否定するつもりは一切ありません。あくまで「そういう状態になっている」という話で、その状態が解除されればいいだけの話です。

人が話を聞けないときは大きく2つあります。

一つは、疲労やストレスがたまりすぎて話を聞くほどの余裕がないときです

子は基本的にめちゃめちゃストレスたまります。

学校の先生というバリバリの組織人とのコミュニケーションをとることを強いられているし、コミュニケーションをとると言っても、だいたいまともにとりあえってくれないことが多いし。

さらに、そんな組織人の他に塾の先生という職業柄必ずどこかで自分たちの不安を煽る人たちが少なからずいる人が存在するもっとタチの悪い人たちとも付き合わなければいけないというのもしんどいポイントですね。

それに友達関係の不安や悩みなんていうのも乗っかってくるので、もうめちゃめちゃしんどいんですよ。ええ。

そんなストレスたまっているときに、親とまともに会話するの、めちゃめちゃしんどいです。

そんなときは一度落ち着く時間が必要だったりするので、近所の公園とか河川敷とかに避難してのんびりしているのがいいかもしれませんね。

ちなみに、学校に行かないと家に連絡されますが、学校に一度足を運んで早退すれば特に連絡はいかないことが多いのでオススメです。

私の母は「勉強しろ」とかいろいろな面倒ごとを押し付けて来るようなタイプでしたが、僕が本当に辛い時にはちゃんと学校を休ませてくれたし、「これでどっか好きなところ行きな」とメモ書きして朝テーブルに1000円だけ置いてそのまま仕事に出かけるようなことをしていました。母上、まじありがたし。


もう一つは、話したところで無駄だと思い込んでいるときです

「弱音を吐くな」「お前がやっていることは逃げだ」

こんなことを日常的に親から言われているようでは、絶対にこの人は私の話を聞かないだろうなーと思ってしまいますよね。

そして、話しても無駄だとわかった瞬間に親と会話することそのものがストレスになってしまいます

同様に、親のことを自分のやりたいことに対していちいち何か小言を言って来るような人であったり、自分のやりたくないことを無理やりやらせようとしてくる人であったりと思う場合は一旦落ち着くまでは会話しないほうがいいかもしれませんね。

一度この状態になってしまったら、親が完全なる悪人にしか見えてきません。

ただ、親が悪意を持って僕たちに接しているかと言えばそうではありません。

親は「24時間いつでも家に帰って来てもいいよ」というサービスと「ご飯も好きなだけ食べていいよ」というサービスを無償で提供しています。

さらに、ホテルみたいにいちいち利用するたびにお金を負担させることはしませんし、必要なものや使って消耗したものも勝手に買い足してくれます。そしてこれらは完全にボランティアです。

なので、僕らに悪意を働かせているわけではない、ということをまずは理解してください。

もっとも、悪意なく自分のやること思うことを無条件に批判する暴力を働いているので、相手のやってくれていることを理解していることを伝えた上で、その暴力にも気づかせる必要がありますが。



パターン2:親がまともに話を聞ける状態にない


まず、疲労やストレスがたまりすぎて話を聞くほどの余裕がないときです。

そういえば先日、農業系アイドルだった16歳の女の子が自殺してしまう事件がありました。


この記事を見る限り、この子の親はかなり子供思いで、ちゃんと子供に対して親身になってくれるような人物であったと伺えるのですが、最後の最後で子供の言うことに耳を傾けることができなかったばかりに自殺という道を選ばせてしまうことになりました。

たぶん、すぐに出ないと約束の時間に間に合わなかったのでしょう。少なくとも、家を出ようとした時に子供の言うことを聞く余裕がなかったことは間違いありません。

こういう場合、直ちに大きな影響がないような決断であれば、話せる時にちゃんと話すために、一度子供の要求をのんでおくのも一つの手であると思われます。


次に、第三者からの煽りを真に受けて、子供のキャリアを勝手に決めてしまっているときです

いい学校に入って、いい会社に入らなければ、まともな暮らしはできない。なんて思っていませんか?

別にいい学校に入らなかったらその瞬間に、精肉工場に連れて行かれて、臓器をひん剥かれるなんてこともありませんし、いい会社に所属していないからといって直ちに死ぬわけでもありません。ブラック企業に入って殺される場合はあるかもしれませんが、別にやめればいいだけです。なんだったら、会社を訴えてしまえばいいです。

世の中に蔓延しているだいたいの煽りや不安のほとんどは勝手に作り出されたものです。

とあるマーケティングの教科書では、消費者に届ける時には「want=相手がいいな!とか面白い!と思う」と「need=相手が必要なものであると感じる、ないと不安だなと思う」の二つの軸が必要だと書いてありました。

言ってしまえば、このneedを無理やり作り出す、つまりモノやサービスを売るために相手の不安を思いっきり煽りまくるということが行われているため、私たちは対して気にする必要のないことをめちゃめちゃ気にしまくっているのです

特に教育業界ではそれが頻繁に行われています。

別に良い高校に入ったからといって、良い大学に入れるわけではありません。僕は偏差値70超えのいわゆる「良い高校」に入っていましたが、卒業した時の偏差値は35でした。その一方で、誰でも入れるために偏差値がない通信制高校に通っていた僕の幼馴染は現役でMARCHに受かっています。マジで関係ないです。結局、本人がやる気のある時に勉強できたかどうかだけです。

なので、誰かからよくわからない不安を煽られたのならば、その不安がいったいどのような根拠を持って植えつけられたのかをちょっと考えてみてください。

大抵、本当にそれが根拠になっているのかどうか怪しいものであったり、データが古くて時代にあっていなかったりというものが多いです。

僕が相談に乗っていた家出少女ではありませんが、小学校から高校までずっと塾に通っていた女子高生がお友達にいますが、彼女も「いくら塾に行かせたところで、成績が上がるわけではない」と語っています。


学校、塾、習い事全般、子供が自分でやりたいと言ったもの以外はマジで意味がないのでさっさとやめさせたほうが良いと思います。


パターン3:「お前は社会のことを知らない」

んなもの、一生わかるか!!!と言いたくなりますがね。

親が言ってくる言葉として多くの人を苦しめていたであろうセリフなのですが、実はこれお互い様だっていう場合がほとんどなんですよ。

お互いに「お前は知らないかもしれないけれども」と思って、情報を隠していること、さらに「言ってもどうせわからないだろう」と話す前から諦めてしまっていることが親子のすれ違いの最大の原因なのです

たとえば、「地位や名誉、お金なんかをいくら持ったところで人は幸せになれないけれど、自分に最低限必要なものがわかっていればあとはやりたいことをやっているだけで幸せに暮らすことができる」という思想を僕は持っています。

ただ、これに「お金が入らないというのなら、もし君が吉野家の牛丼を食べたいと思った時にどうするのか?」なんていう反論をされました。別にお金いらないと言っているわけではないですし、吉野家の牛丼が食べたければ別に誰かの欲しいものをあげて、その対価として牛丼奢ってもらえば良いだけの話です。ふつーに、何かをしてその対価としてお金をもらって、そのお金で牛丼を食べれば良いだけの話ですが。

こんな感じで、世の中には勝手に人の言うことを自己流に解釈して、勝手に批判する日本語が通じない日本人はたくさんいます

そんな人がいくら「お前は世の中のことを知らない」と言ったところで「はい、そうですか」くらいにしか思いません

僕は「こいつらさっさと死なないかな〜」と思って、彼らの話をまともに聞きません。一応、あなたと私の思う社会は違うんだよ?ということを伝えてもこの仕様なので、まあ、聞く気が失せますよね

たぶん、僕も世の中のことをわかっているわけではありませんが、たぶん相手もわかっていません

お互いにわかっていないのに「お前は社会のことを知らない」と言ってマウンティングをするのはどうなのでしょうか


まとめ:対話のために余裕を持とう

相手の生きている世の中なんて僕が知っているわけがないし、逆に僕が生きている世の中を相手が知っているわけではありません。

高校に居場所がなさすぎて鬱気味になっていたところを、他校の演劇部・福岡の演劇人との関わり・アーケードゲームのつながりなどの外部との関わりによってなんとか生き延び、北九州予備校という謎に宗教じみたゴリゴリの体育会系の予備校で勉強の楽しさを取り戻して今の大学に入学したり、NPOと塾講師勤めによって教育業界の闇や組織の闇や承認欲求ジプシーなメンヘラの増加に課題を感じて自分で教育ワークショップをやっていたり、クラウドファンディングで島を開拓したり、ホームレスになったり、自分の家の住所を晒して色々な人を泊めているなどという僕と同じキャリアを歩み、僕と同じ社会をみて来た人などこの世には一人もいないでしょう。

相手と自分は全く違う存在であるため、わかりあえることなんてのはかなり少ないです。

ただ、少しでもわかるために輪郭を描くところから始める。そのためにはもう少し余裕を持って、相手の状況をありのままに観察するというのが大事なのかもしれません。

お互いにお互いの知りたいものの輪郭をなぞっていく行為。僕はそれを対話と呼びます。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず


言ってしまえばそういうことです。

現在の自分の状況を知って、相手の状況を知れば、自ずと答えは見えてきます。

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GroundMole和光の思い出。その他住み開きに関する文章。

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