【砂糖ごはん】4泊5日1000円。日本最西端の島で過ごす生月ゆるいサバイバルキャンプで子どもたちと限界生活を送ってみた
「1日10ドル以下で過ごす人は貧困である」と世界経済フォーラムでも言われているが、そもそも都市の論理だけでこの問題を考えてもいいのかというのは疑問である。
食べるものをある程度自給自足できていたり、家賃を払う必要がなければそもそも1日10ドルでも生きていけるだろう。
もちろん、そんなものは机上の空論にすぎないのかもしれないが、実際はどうなのだろうかと考えてやってみたのが今回の企画だ。
ルールは簡単。4泊5日1000円で生き残れ。 ただし、餓死は避けたいので、米と調味料と小麦粉は支給。サバイバルといえども電気と水道は使える上に、寝床は亡き祖父の家なために屋根と壁がある。
過酷なサバイバル企画であるが、楽しい思い出を作ってもらいたいために1日平戸&生月観光の日も設けておく。
蓋を開けてみたら「ものすごく疲れた!!!でもまた行きたい!!!」という感想多数。なんでだ!!!!
開催場所・生月について
長崎県平戸市が今回の舞台。
鉄道マニアからは日本最西端の鉄道駅・たびら平戸口駅のある場所としても知られているが、今回ぼくたちが過ごすのは古くより鯨漁を行い、隠れキリシタンの信仰の厚い神の島・生月島。
かつて遠洋漁業が盛んだった地域であるため、パチンコやスナックなどの俗っぽい施設がある一方で、東シナ海を望む西海国立公園の一部でもある非常に自然の美しい島である。
生月サンセットウェイ
車のCMでも使われることが多い
また、親子2代にわたり農林水産大臣を務めた金子氏のお膝元であることからなんとこの島は車オンリーで行くことができる。
ゴールデンゲートブリッジのような見た目をした平戸大橋で九州を出て、
全長1km弱のスカイブルーの橋である生月大橋を渡ればこの美しい島に行くことができる。
なお、この島には僕の父型の実家のあり、祖父から受け継いだ土地も2600坪ほどある。
昔、この島でやりたいことやって開拓しよう!!!なんていうクラウドファンディングをしたご縁があり、コロナも落ち着いて来た頃だから久しぶりに開拓合宿を再開したいと思い今回の企画に至った。
facebookで「やります!!」と告知したところ、ものの1日で定員に達して、さらに企画内容や環境についての説明会を開催しても参加人数は一切減らなかった。
なので、ほとんどの読者にとっては「いつ告知していたのかわからない幻の企画」といった様子だろう。
0日目:日本最西端に向かおう
子どもたちとは大阪駅で合流してフェリーで小倉に向かった。
名門大洋フェリーは九州へ帰る際によく利用しているが、船内バイキングと広々とした寝床に子どもたちは大はしゃぎ!
「たぶん、今日がこの旅で一番環境いいと思うよ」
子どもたちにそう告げた。しかし、子どもたち的にはここ最高!!!!って感じで何も気にしていなかった。
福岡に到着して、資さんうどんに舌鼓。ちょうど、東京のプレオープンで400人ほどの行列をつくったこともあって、かなりタイムリーな食事に。
お昼ご飯は松浦の道の駅にて400円のブリ丼をいただく。
美味しいものをたらふく食べて生月に到着。
晩御飯は道の駅で買って来た魚を捌き、漬け丼にする。
まあ、ここまではただの楽しい旅行だよね。
え?ここに泊まるんじゃないの?
保護者用の家&海用拠点として地元の人から借りた空き家から弊祖父の家に移動。
若干の雲行きの怪しさを感じながら0日目&1日目が終了した。
この日の使用金額:300円/7000円
(魚代)
2日目:「食べるもの?ないよ。」
この日は早起きした人たちだけで朝から釣りをした。
しかし、子ども6人+僕のお腹を満たすには心許ない量であり、さらに保存状態もあまりよろしくなかったために、釣り上げた魚は結局ノラ猫のエサになってしまった。
また、釣りに行かなかった子どもたちはデュエマをしたり、家にあった古い漫画を読んだりしていた。
「キタキタ〜。今日のお昼ごはん何??」
「何もないよ」
「マジ??」
あえて段取りを考えずに何も用意しなかった。
「とりあえず、米炊く?」
「オッケー。やり方教えて」
借りた炊飯器と自宅から持って来た炊飯器を使って米を炊く。
そして、これが僕たちのお昼ご飯になった。
「自分たちで食糧確保しないと塩ごはんだよ」
実際、調味料で味噌をもってきていたので、全員ごはんに味噌をつけて食べることになった。
その他、ある子どもがこっそりもってきていたキュウリをみんなに分け与え始める。味噌キュウリを聞くとちゃんとしたご飯だが、実態は味噌ごはんと大して変わらないのである。
その後、海で泳ぎつつ食べられそうな貝を探したり探さなかったりするなかであることに気づく。
「なんか、お腹すかない?」
そういえば、ごはんときゅうりしか食べてない。おかわりはしたものの、やはり何か物足りない。
「おやつない?」
「米に砂糖かけたらおやつっぽくなるかな?」
「それだ」
ここに狂気の限界飯・砂糖ごはんが誕生したのだ。
理屈としては、おはぎが小豆と砂糖を練ったものをもち米にすり付けたものだから、小豆抜きでもそれっぽい味がするだろうというもの。
結果として、一口目はなんか美味しいと感じてしまう。
しかし、所詮は砂糖。あとに残るものが何もなく、ただ「甘かったな」というだけ。ある子どもは「持続性がない」といい、ある子どもは「ただ甘いだけで別においしくはない」と。
砂糖で甘味を感じるためには砂糖を食べ続けなければいけない。そんな道理を見つけるに至った。
その後は、「醤油かけたら美味しいんじゃない?」とある子どもが言ったため、それにならって醤油をかけ始める。
理屈としては餅を砂糖醤油につけるアレだが、これが結構ヒット。
砂糖ご飯に足りなかった味の奥行きを存分に感じるに至った。それでも微妙な味。しかし、微妙な味ですら美味しいと感じてしまう不思議。
なお、砂糖ごはんの僕の感想は「酢飯にしたい」だった。この願いは二日後に叶えられた。
そんな砂糖ご飯に懲りたのか、おやつを食べてからみんな積極的に食糧確保に興じ始める。
その甲斐あってか、夜ご飯用の魚を10匹ほどゲット。
ついでにゲットしていた玉ねぎを天ぷらにする。
小魚の唐揚げを食べての感想は「うまい!!!!!!!!!!」
たまねぎの天ぷらを食べての感想は「これ一番うまい!!!!!!!最高!!!!!!」
とのこと。
お店で見かける料理に久しぶりにありつけたことによって子どもたちは歓喜。食事、本当に大事。
この日の使用金額0円
トータル:300円/7000円
3日目:天国の日
実は僕以外誰も風呂に入っていなかった。
というのも、事前の告知どおり、水シャワー以外の入浴手段はなく、子どもたちのほとんどは海で泳いだあとに体を水道の水で洗い流すくらいしか体を洗うという行為をしていなかった。
そんな状況もあって、この日は1日観光デーとして外食解禁かつ温泉解禁。
午前中は島一周ドライブをしつつ、絶景を巡る。
生月最北端である大バエ灯台にも行く。
日本一のドライブコース・生月サンセットウェイにも向かう。
ドライブの後、生月町博物館・島の館にて生月にまつわる歴史を学ぶ
小さい頃から何度も訪れている場所ではあるが、クジラの〇〇(ピー)の展示が大変に興味深く、当時の人たちがどうやってそれで「遊んで」いたのかというコンプライアンス的にすごく怒られそうで面白かった。
その後は寺田食堂という地元の美味しいお店で町中華っぽいものを楽しむ。
子どもたちの様子を見て、結構疲れていそうだと判断して湯快リゾート・蘭風で残りのんびりすることに。
名門大洋フェリー以来三日ぶりの風呂。気持ち良くないはずがない。
支給品のお米もかなり少なくなってきたので、この日はパスタの麺と酢を購入。念願の酢飯と適当なきのこパスタが晩御飯となった。
この日の使用金額:800円×7=5600円
トータル:5900円
※博物館入場料およびお風呂代除く
4日目:「たまにマズイ飯をつくる。そうしないと料理は上手くならない」
なんとなく喉が痛い。
あまりにも過酷なもんだから体調を崩してしまったのかもしれない。
この日が一日中生月で過ごせる最後の日。
実質、最終日である。
朝はひたすら貝を拾いまくる。
その結果、かなりたくさんの貝を集めることができた。
しかし、ゲットした貝の中身が奥の方に引っ込んでしまったので取り出すことを断念。一旦冷蔵庫に移して、調理方法を探ってみる。
この日、保温のスイッチが切れた炊飯器の米を食べる。
腐った匂いは特にしなかったが、念のため火を通す。チャーハンをつくろうとした。
しかし、米が思いの外こびりついたし、量が多すぎたので急遽おじやに変更。出来上がった料理を食べて「これは….!」と思ったのでみんなに一言。
「これ、微妙じゃない?」
「わかる!!!わかる!!!」と言い出せなかった何かを解き放つように子どもたちが連呼する。
「食えなくはないけど微妙すぎる!!」
「食べるのが辛い!!!」「砂糖ご飯の方がまだ美味しい」
作った人が「微妙」と言っているので、ここぞとばかりに罵詈雑言が飛び出す。
「なんでこんなのつくっちゃったの??」
と言われたので、「君がつくらないからだよ!!!」と返す。
「美味しいものが食べたかったら、自分で作り方覚えて作ることだな!!!!」と高らかに演説する。子どもたちは爆笑していた。
そのあとに言った言葉が「たしかに」
納得してて笑う。
「ねえ。俺、貝の取り出し方でやってみたいことあるんだけど試していい?」
ある子どもがそう言ったので任せることに。
すると子どもが地面に思いっきり貝を投げつけて叩き割っていた。
結果として、身を取り出すことに成功。
この方式で拾った貝をどんどん地面にぶつけてかち割っていくことに。
※このあと、地面はしっかりみんなで掃除した
割れた貝から身を引き摺り出し、酒蒸しにして食べる。大変に美味!!!!
暑いので再び海に入る。
台風が近づいているせいか、いつもより波があった。
「あ、これ静岡の海じゃん!」
あまりにひどかったら流石に止めるが、この程度であれば浜松や吉田では普通の波である。
基本的に波打ち際の波かつ周りがテトラポットに囲まれているためどこか遠くに流される心配はなし。
さらに、波打ち際にひたすら流されるだけであることを知っていたので
「ボディサーフィンしようぜ!」
ということで、ひたすら波で遊ぶことにする。
最後の海ということもあって、ひたすらはしゃいで遊んだ。
そして、僕はしっかり風邪をひいた。
最後の晩御飯は貝の炊き込みご飯?と余りモノのナポリタン。
ナポリタンは好評。
来ていた保護者から平戸牛を渡されたので肉寿司などを握った。
5日目:浮世へ….
こういう企画の最終日あるあるはひたすら片付けに興じること。
毎朝6時くらいに起きて、朝から海に入り、適当にご飯を食べて、また海に入る。
そんな生活のおかげでAbemaで疲弊した気力は一気に回復していた。
しかし、そろそろ自分の好きなものを食べたくなってきたし、お布団で寝たくなったし、1人時間が欲しくなってきた。
理想的な生活の一つではあったが、体調もあまり良くないし、早く帰るに尽きる。
残った食材を食べ尽くし、家主の方との挨拶も終わり、車は福岡に向けて旅立つ。
瀕死だったので、マムシ温泉でしばし休憩。
キッズたちのリクエストで320円の博多とんこつラーメンを食べに行く。
激安ラーメンの中でも屈指の実力を誇るお店だと思ってはいるものの、アナザースカイの今田美桜の回で取り上げられたとのことで妙な箔もついたようだ。
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4日目に体調を崩し、瀕死の状態で福岡に帰る。
実家で少し休ませてもらったものの、死にかけなのは変わらず、高速で帰る予定を変更し船で帰宅。
奈良に帰った二日後には東京、最終的に北海道旅に行かなければならないということで、絶食&布団を着込んで全力発汗&冷房&ひたすら寝込むなどして、ようやく体調を回復させることができた。
↓ほぼ1週間後に再会した小学生もいるのがヤバい
北海道旅を終えた後を振り返っても、最も過酷な企画だったと言えるが、ただひたすら海と戯れる日々はとても良かったし、子どもたちもノビノビとできていて楽しそうだった。
「自分たちでなんとかするまで何もしない」
それを徹底した結果、砂糖ご飯なんて奇怪なものも生まれてしまったがそれもいい思い出。
誰からも指図されることなく、必要だと思ったときに必要だと思うことをやる機会って結構貴重なのかもとも思った。
次回、春休み??
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