風呂を待っている
風呂を待っている。
誰かが出るのをではなく、お湯がたまるのを待っている。
ついでに洗濯物も回してみた。どちらが先に終わるのか。
先程まではベランダでシングルバーナーに鏡面のように油を馴染ませたフライパンをかざしていた。腹がいっぱいだ。
最近書きたい記事がある。ずっと頭の中で咀嚼を続けていたもの。いや、ずっとではなくて、ふと思い立った時にその記事のことを考えてきた。
数ヶ月間、考え続けているけれど、まとまっていなくは無い。
内容は「痛み」について。
きっかけとなったのは数ヶ月前に参加したキャンプイベントのワークショップだった。
鶏の頭を捻って、息の根を止めて、自ら血抜きをして肉を捌いたこと。
あの感触は忘れることができないし、どうやって書いたらいいかもわからないでいた。
し、書きたいか?と言われればわからなかった。
何故だか、何故だかである。
綺麗にまとめたくなかったし、できれば「簡単に」書きたくなかった。
トピックとしてはある種わかりやすいものとも思ったから。
物事を抽象的に捉えてあれこれ考えてしまうのは、もはや趣味なのでは無いかとも思う。
パンツの中でじんわり染み出す尿を感じながら「なんでも最後までやりきれないんだなぁ」なんて手を洗ったりしている。
馬鹿馬鹿しいけれど、今回考え続けているそれも、おんなじようなパンツの中。誰にもバレないところでじんわりじんわり染み出すように考えていたわけだ。
それが最近くるっと身を翻すように、パカっと開くナゲットの箱のように。
少しだけスピードを上げて頭の上を回り出した。
その間約3ヶ月間。クライアントワークであればとっくに納期を超過してほとほと愛想を尽かされているころだろう。
内容はもう少しだけ考えてみたいけれど、「痛み」が足りないと言うこと。
きっと自分は何かに突き動かされる時には、それがある種の根っこにあるのだと思う。けれど、「足りない」って、別に渇望をしているというわけではない。
「十分で無い」と言う感じ。
なんとも久しぶりに何にも考えずタイピングしているけれど、それだ。
十分でない。
なくてもきっといい物だし、結局避けられないけれど、久しぶりにそんな温度感。少し気圧で頭が重かったりもすると思う。
あの時捌いた鳥は、特段めちゃくちゃ美味しいと言うわけではなかったし、まだかたっぽの羽は自宅の冷凍庫の中にある。
いつか食べるのだろうか。とてもとても硬い身をしていた。
そろそろしっかり書かないとなと思っているし、そろそろ風呂がたまるころだ。
いってきます。