やさしさに包まれたなら
目に映る全てのことはメッセージ
そう言えば小さい頃、父の働く自動車工場からマイクロバスを借りて従姉妹一家と一緒によく旅行へ行っていた。
古いマイクロバスは、最後席の部分がコの字になっていて、中央のテーブルを囲むように座れる仕様。えんじ色を基調としたレトロな内装で、テーブルのくぼみに刺さったスーパードライの缶から鳴るカタカタとした音と、今では考えられないけどおじさんたちのタバコの煙が車内に立ち込めていた。
よく行っていた、わりにはどこにいったかがあまり思い出せない。ただ実家のリビングにかけられている草津温泉での集合写真、あのシーンだけは印象に残っている。
おそらく小学生低学年ぐらいの頃だと思ったけど、泊まった宿やご飯、温泉の覚えが殆どない。けれど、草津温泉街の代名詞である「湯畑」の光景。それと夜には、その湯畑の周りを複数の男性が一列に連なり「龍」を担いで練り歩いていた光景。その二は妙に印象に残っている。確かあの夜祭りは「リュウジン祭り」と言ったと思う。
一帯に漂う硫黄の匂いと、湧き出す温泉の湯気。そこに強めの原色で装飾された龍がウヨウヨと漂う様子が、もちろん行ったことのない遠くの国「チュウゴク」とか、そういったなんとも非現実的な空想世界みたいな光景だった。
楽しかった
という思い出というより、少し不思議な後味が微かに残っていて。たくさんの人たちがぞろぞろ歩く祭囃子の中、暖色の提灯を見上げながら両親やみんなの背中を追って歩いていた記憶。もちろんつまらないとか怖いとかではなく、地に足がついていない、何かの間に入り込んでしまったような体験だったと思う。
考えたらいわゆる「思い出」として残っているのは、どれもそんな温度感のものが多い。上手く言葉にもできなかったけど、昨年中つげ義春さんの「ねじ式」を読んだ時に、絵のタッチや色彩、漂う空気感、自身のそれらが書き現されているようでドキっとした。
記憶のすり替えもあるかもしれないけど。
小さい頃は神様がいて。
おじさんたちの低い笑い声、おばさんたちの世間話がラリーされているマイクロバス。子どもたちはというと、もっぱら備え付けのカラオケで盛り上がっていた。当然入れられている曲も古いものばかりで、黄ばんだ歌本を見ても殆どはわからないものばかりだった。
そんな中で従姉妹のお姉ちゃんが歌い出したのが、荒井由実の「やさしさに包まれたなら」だった。
小さなモニターに映る歌詞を何とか追いかけていたけど、当時はその意味を全く理解できずに、チープなカラオケビデオに映る白いワンピースの女の人を見つめていた。
電線が交わったり離れたりしていく車窓。それらをぼんやり見上げながら聴いていたその曲が、ユーミンとの出会いでした。