「西」に生まれて

山間部との境目にある「上市(標高の高い上の方にある)」という集落に生まれた自分は、如何せんこの「西」の呪縛にどこまでも苦しめられたのだった。

中学へ進学すると、下界のシティーボーイたちから自分ら「西小学校」出身の生徒は“西っこ”と揶揄され、毎日学校チャリを押して登山していく「山の民」とからかわれていた。   

・・・・・・・この続き

中学へ進学した当初、“西っ子“たちは困惑していた。人の多さ、ヤンキー、ギャル、カラオケ、マック。今までの日常とはとはあまりにかけ離れたそれらにキョロキョロしながら、初めて会う下界の同級生との学校生活が始まる。

先程「困惑していた」と言ったけど、それはもしかしたら自分だけだったのかもしれない。というのも、同じ“西っ子“でもサッカー少年団に通っていた友達などは、進学前から同じクラブメイトとして数年間交流を深めていた訳で、各クラスに彼ら特有の「イケてるグルーヴ」が出来上がっていたし、ゲーセンも娯楽もなく外を駆け回っていた“西っ子“たちは、その地域柄いわゆる「風の子」なんて具合に運動神経が良く、どのクラスや部活でもちょっとしたヒーローになっていた。

では自分はというと。実は小3から少年野球はやっていたけれど、当時結構な肥満児で運動には自信がなかった。また今考えればほんの些細なことだったけど、小学校の卒業間近に児童会長に名乗りをあげてしまう程の持ち前の「でたがり」が祟ってしまい、友達と細やかな確執が生まれてしまっていた。進学後すぐにわだかまりは無くなったんだけれど。

と、そんな具合だったわけで、入学当初はコンプレックスと不安感が胸の中で渦を巻き、これからの学校生活をどのように立ち回っていこうと頭を捻っていた訳だ。

「ひとまず野球部だろ」

結構重要だったはずの部活選びは、確かそんな様子だったと思う。ただそれはやっつけでも投げやりでもなかった。まさにその言葉の通り「ひとまず」だった。当然のごとく、すんなりと。

そこから先、高校卒業まで6年間に及ぶ試練が始まったんだった。


俺何書いてるんだ・・?
これ終わるのか?(笑)
ひとまずここまで。また書きます。


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