膨らみ出してつかえていたものが弾けてジクジク痛む時は、痛いながらも楽になったりするものだ。変な話ではなく、きっと死ぬ時などはそうなのだろうなと思ったりする。
毎日毎日至る所で張りが生じて、化膿みたいに鈍痛がこめかみに響く。治ったかと思えば今度はあっちと、恐らくその便りは途切れる事はない。
針を刺してやりたい。そんな数日間だったかと思う。おかげで脇腹にジャブを受けるような日々で、とうとう今日は鈍痛が鋭いそれになってしまった。そして今身体中にドロドロと安堵感と心地よさが流れ出している。"痛快"とはよく言ったものだ。
危うかった。恐らく堤防を打ち立てるように、一本の筋みたいな物を拵えようとしていたのだと思う。ただやっぱりそう易々とはいかないのだ。とろとろと分岐して流れる水も、まとめてしまえば圧はかかる。毛細血管が新たな行き場を求めて細胞の隙間を貫いて行くように、メリメリと細かな亀裂から染み出していたのだ。
俺らしくなんて、らしくはないよな。
そうライブハウスで歌っていたのがもう何年も前のこと。何か進歩しているのだろうか。
何だかんだで結局また同じ、元いた所に立ってるんじゃないだろうか。ただ、ロックンロールに教わったことは「人と違っても自分らしくあれ」ってこと。そして。
3年間生活を共にした人と別れてから、3年が経った。だからなんだという話なのだけれど、ちょうどその区切りの日は新月だったようだ。思えば体調の変化がピークだったのはそんな土曜日のこと。大学時代の友人と酒を飲み明かした朝で、じゅくじゅくと雪が溶けるような生緩い気温だった。次の日は吉原の町を歩き、先輩方とまた酒を煽った。キンミヤを飲みながら見たチバユウスケの遺影とグレッチの写真が妙に頭にへばりついている。
朦朧としながらも、たまらなく幸せな数日間だった。ぐしゃぐしゃとアーカイブされてく記憶の中で、確かに自分は彼らを一人残らず愛していたから。愛してくれるからではない。ただ愛したいと思う人と時間だった。
俺は俺でありたいだけなんだ、ただそれだけなんだ。誰だってそうなのだろう。語り尽くせない、そんな自分とやらを探していくことの代償は大きく、蝕まれながら暮らしていくにはおそらく身体が幾つあっても足りない。でもまだまだ名前を付けてやるには早すぎるのだ。まだまだ愛し足りないのだ。
だから、色々と痛いのだけれど生きのびねばならん。今日が終わればまた生きるのだ。
一生このバランスをぐらぐらと探ってくんだろう。愛と平和は、そう簡単には一緒にやってこないんだろう。でも、それだけで生きてけんのはちっとも不思議じゃないって。心から思う。
今夜は月が綺麗だから。
どうか健やかに、茶髪とバルコニーで。
俺は夜が明ける前に、少しこのまま目をつむります。