風の強い日は届いた質問に答えよう
今日は風が強い。どのくらい風が強いかというと、ドアノブを捻った瞬間風に持っていかれ、百八十度開いた扉が思い切り壁にぶち当たり、その拍子に郵便受けが開き、そして中に入っていた私の電気やらガスやらの検針票が町中に飛散していった程だ。
フルネームや住所が書かれていたので、本当に困る。私の個人情報がご近所さんに広まってしまった。もしも町で見かけたら、そっと処分しておいて欲しい。
こんな日は家にこもるに限る。家にいればこんな仕打ちを受けずに済むし、個人情報を晒すことも無い。今日は家でうんと暇を楽しもう。
そういえば、質問箱にいくつか質問や感想が来ていたので、折角なら答えようと思う。一年くらい寝かしているので、質問をくれた方はもう見ていないかもしれないが、私が気持ち良くなるために一個ずつ答えることにする。(以降、基本的には私が褒められるだけの記事である。不快であればそっと閉じて欲しい。)
お仕事の依頼だったのだろうか。すぐに対応できず申し訳ない。ただ、拙文では四十代~七十代の大人を楽しませられる自信はないので、多分話が進んでもお断りしていたのだろうなと思う。それに妙齢の大人たちのナビをできる気がしない。私は今でも横断歩道の白い部分しか踏んではいけない遊びをする子供だ。まさか大人たちも横断歩道を大股で歩く人間にナビしてもらいたいわけが無いだろう。是非機会があれば仕事させてください。
いい時間とお酒のハッシュタグに関する記事を書いたのはいつだっただろうか。書いている間すごく楽しかった気がする。こう振り返ると、私が楽しいと感じる時は、ただ事実を書き連ねるのではなく、一つの行動について、何を考えているか、或いは何を思ったかをこねくりまわしている時なんだろう。
そう考えたのは何故だろう。そして、その考えを応用するとどうなるのだろうと、自分だけの思想世界が拡張していく感覚が非常に楽しい。それを言語化するためにこうして日記ともエッセイとも言えない何かをつけているわけだが、本当に良い娯楽に出会えたものだと再実感できた。
因みに私はアマチュアの中のアマチュア、所謂アマ人(あまんちゅ)であるので、お褒めいただけて嬉しすぎる。嬉しすぎてその言葉を家宝にしようと思う。これが本当のアマ人ぬ宝である。
最近はオチを上手い事つけられていない気がするが、確かに私の文章の頭とおしりは繋がっていることもある。ただ、なんとなく繋げられそうなら繋げるだけで、最初からプロットがあるわけでもない。いつも行き当たりばったりで書き始め、終わりの言葉に困ったら拙文を読み直し、ヒントを得ているだけだ。なので、無理につけることも無いかなとも思う。
あとは、(本当のことを言うと)最後に冒頭の文章を組み直すときもある。どんな記事にも言えることだが、綺麗に終わった記事の頭をちょっと替えたら伏線風になって、いい感じになる場合も多い。なんだったら途中の文を大幅に修正する場合だってある。時には見直し、遺伝子組み換えのオチを植え付けることが、いうなればコツなのかもしれない。
以上、ここまで書いて、アマ人がよくもまあこれだけ上から目線でアドバイスできるものだなと反省した。アマ人の、若気の至りアバンチュールだと思って見逃してほしい。
してください。人との関りが枯渇しているので、誰でもどんな話題でもいつでもお待ちしております。
話すことが無かったら好きなお菓子や今日食べたご飯でも教えて下さい。
そんなことを言われたら好きになってしまうのだが、それでもいいのだろうか。
それと、重荷になるなんてとんでもない。そうやって褒めて頂くことが私の原動力になるわけで、そんな言葉を投げかけてくれる方は私にとって無償の愛を注いでくれる母のような存在であり、つまり何が言いたいかというと、重荷ではないがオモニではある、ということだ。
以上、とりあえず今回はここまでにしておくことにする。モチベーションは爆上りだが、私が褒められて喜んでいる様をお見せするだけの記事になってしまい申し訳ない。
ただ、本当に優しい言葉ばかりで、とんだ幸せ者だなと感じる。皆様がファンでいてくれる以上に、私は質問や感想をくれる方々の大ファンである。私が大ファンになったら、そんじょそこらのサーキュレーターよりも風を巻き起こすだろう。ついには台風レベルの風速をたたき出し、読んでいただけている方々を遥か彼方へ飛ばしてしまうかもしれない。困ったものである。皆様の個人情報だけは飛ばさぬよう、気をつけようと思う。