「塩パン」が好きな人=意識高い系?
ドトールのモーニングセットを頼むときは必ず「B」。マスタードが大丈夫な方は何も知らず「B」を食べてくれ。普通に美味しいから。コーヒーと「B」で500円。朝の短くも大切な安らぎを500円で買えるなら安いものだ。それに「B。アイスM」と店員さんに頼むときは、スパイが暗号で取引しているみたいで楽しい。ドトールはもし困ったことがあったら私に頼ってほしい。スタバでもプロントでも喜んで潜入しよう。
街のパン屋さんもよく行く。トングをカチカチしながら好みのパンを選ぶ時なんて、幸せとしか言いようがない。しかし平気で一つ200円以下で売っているが、彼らはあの値段設定に納得しているのだろうか。朝四時に起き、粉を混ぜて発酵させて焼いて、営業時間には長時間売り場に立ち、閉店したら明日売るパンの具の準備をして…… とんでもなく大変な上に一個の利益は数十円。ニコニコと接客している店員さんも脳内ではもしかしたら、「あーあ、こいつ合計で300円しか買ってねえじゃん、利益50円かよ。クソが」と思っているかもしれない。そのくらい悪態をついていながらじゃないとやっていられない気がする。でもおそらく、店員さんはそんなこと露ほど思っていないのだろう。彼らには頭が上がらない。足を向けて眠れない。全方位に街のパン屋さんがあると仮定して、今日は立ってお辞儀の姿勢で寝た。自分の真下には流石にあるまい。
つまり何が言いたいかというと、私は生粋のパン好きだ。ハード系もソフト系も全部好き。ベーコンエピ、BLTサンド、あんぱん…… 考えるだけで垂涎ものである。
中でも「塩パン」に目がない。あれめっちゃ美味しくない? 彼を目の前にすると、つい恋する乙女のような態度をとってしまう。
塩パンのカリッとした表面を齧ると、まず塩味が広がる。そして咀嚼するごとにどんどんバターや小麦の旨味が滲み出てきて、もちもちの舌触りに変わっていく。シンプルでいてごまかしのきかない燻銀だ。女性諸君はデニッシュやパニーニみたいな派手でチャラチャラしたやつらではなく、塩パンみたいなタイプと結婚すべきである。(それでもついつい、チャラチャラしたやつらに目が移ろうことは許容する。かくいう私もそうであるので)
この恋は、私が小学生の頃に始まった。親が有名なパン屋さんで買ってきて、パン素人の私は「なんにも入ってないパンなんて買ってきてんじゃねえよ」と落胆したものだ。第一印象は最悪。他に食うものなく嫌々齧ったのだが、食べ終わる頃にはもう虜だった。それから、彼のことが頭から離れない。「あんなやつのこと…… なんで考えちゃうんだろ、私最近変だわ」そんな気分だった。
もちろん今でも恋している。そう簡単には一途で純情な片思いは終わらない。それなのに! それなのにだ。恋バナ(好きなパンの話)の最中に「塩パンが好き」というと、高い確率で「意識高いねー」とバカにしたような返答をされる。世間では結構、塩パンが好き=意識高い系という図式が成立しているようだ。ぐぬぬ、許せん。
意識高い系が好きなものというのはつまるところ、「私この分野について通じてますよ。だから王道というより、知る人ぞ知るっていうのかな? まあ、そういうものが好きです(笑)」といった意味が含まれる。うわ、文字を打っているだけで頭が痛い。彼らはマウントを取れるか否かという点でしか物事を見ていない。意識高い系がイラッとくる所以はそこである。(あとカタカナばっか使うところ。フィックスとか。)
そして現に私の塩パン好き発言はそう捉えられてしまったわけだ。悔しい! 私は意識高い系のレッテルをべたべたと貼ってきた輩に対し、塩パンの魅力をこれでもかと語った。これが更に良くなかった。返って逆効果だったのだ。意識高い系というのは例外なく聞いてもいない薄い話をペラペラと喋る特徴を持つため、口角泡を飛ばす私を見て輩たちは若干引いていた。私はこうして不本意にも「意識高い系」のステータスを得てしまった。
嫌だなあ。ほんとに塩パンが好きなだけなのに。辛いよ、あんな奴らと一緒にされるなんて。これを読んでいる方がもしいるならば、この熱意が伝わっているに違いない(伝わってるはず!)。私は決して意識高い系ではない!
さて、話もひと段落したところで今日のアジェンダをゼロベースに戻し、ステークホルダーにコンセンサスをアサインするとアグリーされたのでイシューをソリューションするフェーズにローンチしよう。