雨に打たれる私はきっと情けない
梅雨だというのに、全然雨が降らない。梅雨なんて八割くらいは雨で、わずかな晴れの間に「今だ!」と、一気に洗濯を済ますような季節をイメージしていたが、これでは拍子抜けだ。
しとしと降る雨の音を感じながら読書をしたり、バケツをひっくり返したような雨を窓から見守るあのワクワク感が足りていない。梅雨にはもっと頑張ってほしいものだな。……まあ、降ったら降ったで文句を言うわけだが。
私の家の玄関には、十本程ビニール傘が置いてある。これは、私の背中の傷だ。ついつい目を逸らしてしまう。
私は、「家を出る時に雨が降っていなかった場合、絶対に傘を持たない」というルールを自分に課している。最初は荷物が増えるのが面倒くさくて始まったことだが、今ではもう意地だ。傘の代わりに、「絶対に持ち歩かないぞ!」という確固たる意志を持ち歩いている。
なんて馬鹿なことをしているんだろうと感じるかもしれない。しかし、これは、私と自然との唯一公平で対等な戦いだ。奴は如何に私の外出時間に雨を降らせるか。私は如何に外に出ている時間に雨を浴びずに済ませられるか。この勝負には忖度も温情も無い。私達は今日も、真剣に刃を突き立てあう。
出かける際には天気予報を見て情報を得る。これは人類の叡智の結晶であり、使わない手はない。ズルとは言わせんぞ。自然だって衛星をいっぱい持っているのだ。私らが打ち上げた人工衛星をどう利用したって、不正ではなかろう。私は情報を取得するだけであって、それによって傘を持ち歩くなんてズルはしない。私にとって天気予報は、覚悟をするためのツールだ。
天気予報士のお姉さんが今日は雨は降りませんと言えば、「ふん。自然も所詮そんなものか」と雲に発破を掛けてやり、午後から雨が降りますと言えば、「今日はなかなか厳しい戦いになりそうだが……やるしかない」と自分を鼓舞する。私たちは、もはや戦友なのだ。ドリーとブロギーだ。
私の家は最寄駅から徒歩十分くらいの場所にあるため、負けると雨に打たれながら帰るか、しぶしぶコンビニでビニール傘を購入する。大体七百円。手痛い出費だが、ポケモンだって負けたトレーナーは勝者にお小遣いを支払うのだから、そのくらいはくれてやる。
傘を差した私の背中は丸くなり、足取りがおぼつかない。その姿は、人から見れば一層のこと情けなく感じるだろう。とぼとぼ歩く私の頬は濡れている。これは、雨か涙か。今となっては知る由もない。
この話をすると、よく「いや、折り畳み傘を持ち歩きなよ」と言ってくる輩がいる。いや、本当にその通りだと思う。しかし、もう戦いの火ぶたは切って落とされたのだ。そんな模範解答というか、勝ちパターンを提示されて終戦するものでもない。
というか、私は普段から洗濯物を何枚も畳んでいる。それに、胸に畳んで話さない恋だってしてきたつもりだ。そんな私に何をこれ以上畳めというのか。私だって言わせてもらうが、人類は畳み過多だ。塩分は気にする癖に、畳みは気にしないなんて変だ。もっと控えた方が良い。体に毒だよ、そんな生活。
あと「天気予報見てるなら、傘持ち歩きなよ」とも言ってくる。う、うるさい! なんて無粋なことを!
近年、自然は「ゲリラ豪雨増加」という強力な武器を手に入れた。突発的、局所的、短時間に大量の雨を降らせるあの恐ろしい兵器は、私の頭を常に悩ませる。
温室効果ガス排出量の増加に伴う地球温暖化が原因の一つらしいが、またしても私達は自分の首を絞めているようだ。いい加減自分の行動を顧みて、学習し、次の対策を打つべきだ。何度雨に打たれても傘を差さない私としては、もっとやらなければならないことがある気がするが、まあいい。とにかく、彼らは私にとって不都合な力を手に入れたのだ。ほとほとに困る私を見て、さぞ雨界隈は「一矢報いたぞ!」と盛り上がっていることだろう。
以上のことから、当然毎年梅雨の季節は激戦が予想される。それなのに、今年は雨が全然降らない。
以前の自然であれば、私が出かける時だけ晴れ間を作ることに尽力していたし、私は極力外出の頻度を少なくしていた。なのに、どうしちゃったんだ。こんなに雨が降らなきゃ、私が弱いものいじめをしているみたいじゃないか。
おい、その、体調の方は大丈夫なのか? これはいわゆる、異常気象、空梅雨というやつなのか? 香川はちゃんとうどんが作れるのか?
次々に心配と疑問が浮かんでくる。こうした自然の機微をいち早くキャッチできるようになったのも、きっと戦友になったからだ。あーあ! 良かった~、傘持ち歩かない生活をしてて! 傘差してる人にはわかんねーんだろうなあ~!
さて、今日もそろそろ家を出る時間だ。最近は連戦連勝、呂布が如き活躍をする私には赤兎馬(傘)なんて必要ない。戦場に赴けば、自然の頭を何個も担いで帰ってくることだろう。いくら敵が弱っていたとしても、私は手を緩めない。是非とも良い戦いをしようじゃないか。