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石を拾うように

今夏、一つの「決断」をした。

いや、「決断」は最初から「決断」の形をしていないのかもしれない。しかし一つの「選択」をとったことが次の「選択」を生み連鎖しながら、着実に、周辺の物事に対して急速に輪郭を与え、少しづつ自分を遠くへ連れていく。想像が膨らみ、見える風景の射程が伸びるほどとても愉しい。と同時に、予想される実務も膨大で目眩がする。振り返った時に始めて、あれは「決断」だったのかもしれない。と、気付く。最初の一つの選択が千の実務を生んでいく。

最初の選択をしたことによって浮かんだ言葉。一つの言葉。
この3週間、この一つの言葉だけを深掘りしている。遠出した先へやってきても郷土料理の収集はできず、考えるための欠片を拾い、出会う人から教えてもらった喫茶店や物屋へ行って、本を読み、モノの先にあるコトを見つめ、また考えている。一つの言葉を煮詰めつづける、ずっとひとつづきの時間。分野を乗り越え、土地をまたぎ、共通項を確認しては書き留めていく。

柱を4本立てれば空間が生まれ、星を結べば星座になる。人間は、“見立て”ることで世界を発見し、名付けてきた。「生」の舞台としての、風景が立ち上がる「装置」をつくるときにもまた言葉を通る。

ボールがまわってきたから受け取るだけ。綺麗な石が落ちていたから拾うだけ。そんな心持ち。つくづくそんな役回り。

2022.10.10

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