TakumiNoro

traveling.▼食堂;店主 @kitchen_uchino / カフェ; @ameakari_ ▼ from Niigata, JPN

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最近の記事

メモ:地域経済とマーケティングの話

経済学部のゼミが新潟市と共同で行う「持続可能な商店街の仕組つくり」というテーマの研究にて、内野商店街の一商店主としてインタビューを受けた。マーケティングの研究室からのインタビューだった。 質問の一つ目が“内野商店街の課題は何か”だった。そもそも「課題」を解決することでは、土地に「生活」は生まれない。全体の一部を対処療法することによって、新たな「課題」は生まれる。これは物事の一側面から考えたのでは捉えることはできない。商店街の活性化に対してアプローチした結果、生活者の住環境や

    • あめあかり

      休日、朝の雨音。 穀物の生長をうながす、静かな雨。 だれもいない店内にひっそりとある静寂。 雨がもたらす街の静けさ。 なくても日々は流れ過ぎてゆく、何も生み出すことはないけれど、日常を繰り返していくためになくてはならない静かな時間。 雨の日にこそともしたい灯。 路地裏の雨灯。 “よろこびも悲しみも、あめつちとともにあるひとは、人間であることに過信しない。じぶんより強いいのちへの畏れ、自分より弱いいのちへのいつくしみを、こころのとおり伝えることができる。” ------音

      • 石を拾うように

        今夏、一つの「決断」をした。 いや、「決断」は最初から「決断」の形をしていないのかもしれない。しかし一つの「選択」をとったことが次の「選択」を生み連鎖しながら、着実に、周辺の物事に対して急速に輪郭を与え、少しづつ自分を遠くへ連れていく。想像が膨らみ、見える風景の射程が伸びるほどとても愉しい。と同時に、予想される実務も膨大で目眩がする。振り返った時に始めて、あれは「決断」だったのかもしれない。と、気付く。最初の一つの選択が千の実務を生んでいく。 最初の選択をしたことによって

        • TANEMAKI.02 刊行に寄せて。

          米づくりを中心に据え、めぐる季節とともに自然との関わりを持つ生活は、とても新潟の「営み」らしく感じられる。 TANEMAKI.02においての「コミュニティ」という言葉からは、「生態系」という言葉を思い起こす。 「生態系」 -ecosystem- 屋久島の杉の巨木は、苔や着生植物とともに生き、一本の木であると同時に1つの森でもある。 “そのあまりの多彩さと豊穣さに見とれているうちに、いったいどちらが「主」でどちらが「従」(寄生者)なのか分からなくなってしまう時が

          “いま”は“いのち”、

          町は生きている。 人が生きるようにして、お店も、町も生きている。 2018年末、ここ内野町の老舗が一つ幕を閉じた。ひっそりと。 僕はこのマルカク醸造の分家の孫で、じいちゃん(86歳)はついこの間まで醸造を担当していた。 (2018年末で味噌・醤油の醸造を終了。 年明けからは昔ながらの製法の味噌漬けや豆や昆布の販売のみ行っている。) すべて国産の原料で、木桶で仕込む味噌は全国生産の中でも数パーセントだった。 後継ぎの問題や、時代のニーズによって老舗が閉まる。 この

          “いま”は“いのち”、

          店というコクーンを育てる。

          一年前の2017年5月1日のウチノ食堂には、ただ自分という人間と何冊かのお気に入りの本たちがあった。内野町には職人たちが日々つくる食材があって、いつもここにある食材を活用する「イツモの定食」をつくることにした。 2018年5月1日のウチノ食堂には、変わらず自分という人間と何冊かのお気に入りの本がある。 日々、お米を炊き、 日々、お惣菜をつくり、 日々、コーヒーをいれる。 この“食事を提供すること”以上に、食堂という営みの中で誰かと積み重ねた“時間”や“記憶”(scene

          店というコクーンを育てる。

          【ウチノ食堂“藤蔵”の話】

          “人が集まる場所”をつくる。 自分自身が旅を通して知った、 “年齢も、性別も、職業も、国籍も、垣根なく、日常の中にある多様性。” その為に自分にできることってなんだろう? そんなことを考え始めて7年が経ちました。 これからはじまる「食堂」という小さな点だけでは、できることは限られているかもしれないけれど、小さなキッカケは作っていけるんじゃないか。少しづつ、少しづつ。 ある時は近くから“近所の人”が、 ある時は遠くから“旅人”が、 ある時は一冊の“本”が、 ある時は一本

          【ウチノ食堂“藤蔵”の話】

          空き家研究会の雑記

          ソトコト指出編集長 「行動している人が答えを教えてくれるんです。僕はただそれを面白がっているだけです。」 いつも言語化できない行動を言葉にしてくれる。 【雑記】 行政に頼れないから、住んでいる人がジブンゴトを考える。 決意→事例 概念上は、空き地=空き家 (ケルナー広場) 更地でも思い出は残っている どんな子供でもクリアできる遊具=自分と他人との違いを感じられない 町に一番長くいる人たち(当事者)と考える。 「人のいる町」≠ベッドタウン

          空き家研究会の雑記

          進むこと。

          人は生きる。 未来を語っている人がいて、自分の手で作っている人が増える。 そして、それを楽しむ周りの人。 ひとの“居場所”、コミュニティは地域に必要。どんなに小さくたっていい。 “交換”は不等価が良い。等価交換は完結する。 野菜が新鮮な距離と、スープが温かい距離。 経済のための政治なのか、人のための政治なのか。 世界はもっと広いのだし、時代は変化している。 探求すること。 自分の手で何かを生み出そうとするのは、その意思の表現。 未だ存在しないものに、名前は

          進むこと。

          Festina lente./ゆっくり、いそげ。

          “最終地点”を公表しない。というのは目的に対して最適だろうか⁇ 昨夜、ゲストと話していて降ってきた問い。 裏返すと、なぜゴール設定が必要なのか⁇ ゴールを設定すると、周囲も含め全体の目的・個々の役割・コンセンサスは明確に、一体感は生まれる。でも、その一方で広がりを生んでくれる“隙”の幅は狭くなるのではないか。 目的が、明確な時、数値化できる時はこんなことを考えなくたって良い。 それは例えばお金が目的なとき。できるだけ迅速に、数字を最大化させる。戦略を立て無駄を省き、計画

          Festina lente./ゆっくり、いそげ。

          コミュニティに成るもの

          ゲストハウスの本質は、初めて訪れた土地であっても“自分の居場所”ができることだと思う。 自分の居場所に成る理由は、1日だけの滞在であったとしても、コミュニケーションの密度や量が高いこと。 新潟県古町のゲストハウス“人参”、 長野県下諏訪の“マスヤゲストハウス”、 マスヤで常連ゲストさんと話してみて、 人参でゲストを迎えてみて、 この一ヶ月の間で感じること。 “コミュニケーションの密度と量”新潟県の内野という町に、“ツルハシブックス”というお店がある。 ここも“ゲス

          コミュニティに成るもの

          人が集まる場所をつくる。

          人と人、人と料理、人と食材、人と地域... 毎日繰り返される暮らしのなかに当たり前にありながら、人と「何か」を繋いでいる"料理"。 どんなに時代の流れが速くなっても、人と「何か」が繋がり、その間に新しい"体験"が生まれる。"文化"が生まれる。“アイディア”が生まれる。“企て”が生まれる。 それに変わりはない。 実は新しいムーブメントの種は"料理"にあるのかも。。。なんて。 “地域で、コミュニティのハブになるのは飲食店。”これは6年前にたてた仮説。 生きていく上で欠

          人が集まる場所をつくる。