進むこと。
人は生きる。
未来を語っている人がいて、自分の手で作っている人が増える。
そして、それを楽しむ周りの人。
ひとの“居場所”、コミュニティは地域に必要。どんなに小さくたっていい。
“交換”は不等価が良い。等価交換は完結する。
野菜が新鮮な距離と、スープが温かい距離。
経済のための政治なのか、人のための政治なのか。
世界はもっと広いのだし、時代は変化している。
探求すること。
自分の手で何かを生み出そうとするのは、その意思の表現。
未だ存在しないものに、名前は付かない。
「ここにお店がある、でもなければ、◯◯料理がある、でもない。」
結局は“人”。
文化と料理の関係を考察すること。
名産品や郷土料理、ということでもない。
料理は自由。好き勝手で良い。
料理というミームもまた旅をする。
「知識というものは時空を超えることができる。」
「ふだん食べているものには手をかける。ふだん食べられないものには手をかけない。」
地域も、文化も、一つ一つの手仕事の集積。
食材がなくなったら、料理はできない。
コミュニティを中心に据えると、“住空間”の在り方は回帰する。
やはり、縁側は最高。
“境界”の設定は意志。
やはり看板はいらない。なんなら名前も。
主体性を持った人間にとって、“場所”自体に意味はない。
複数の人格に共感し、共感を統合する。
そうするとヒトの意識はつながっている。
人は自らの意志で生きる。
(野呂 巧)
7/11~7/13の雑記。
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