Festina lente./ゆっくり、いそげ。
“最終地点”を公表しない。というのは目的に対して最適だろうか⁇
昨夜、ゲストと話していて降ってきた問い。
裏返すと、なぜゴール設定が必要なのか⁇
ゴールを設定すると、周囲も含め全体の目的・個々の役割・コンセンサスは明確に、一体感は生まれる。でも、その一方で広がりを生んでくれる“隙”の幅は狭くなるのではないか。
目的が、明確な時、数値化できる時はこんなことを考えなくたって良い。
それは例えばお金が目的なとき。できるだけ迅速に、数字を最大化させる。戦略を立て無駄を省き、計画に落とし込み、実行する。だけ。
答えのないコトに取り組む時。
“最終地点”を公表しない。というのは目的に対して最適だろうか⁇
答えのないコトに取り組む時ほど、曖昧なゲリラ戦でいいのではないか。
“不安定”という言葉と“不安”という言葉、いつから結びついてしまっているのだろうか。
出たとこ勝負は難しい。準備によらない“実力”が求められる。
それでも“不確実”は楽しい。
どちらが目的に対して最適だろう。
Festina lente.
ゆっくり、いそげ。
Festina lente.
ゆっくり、いそげ。
コミュニケーションと意思
コミュニケーションとパブリックマインドが“コミュニティ”。
コミュニケーションがコミュニティに変化するのはいつからだろう。
パブリックマインドってなんだろう。
“みんなで完成させる”ってなんだろう。
暮らしの価値、ってなんだろう。
住みたいってなんだろう。
昨夜のゲストとの会話を反芻、昨夜の散歩を反芻している。問いと仮説、朝から問いが問いを生んでいく。目の前では“クラフトビールの陣”2日目の準備が着々と進む。去年は昼から12時間以上飲んでいたから今年は潔く諦める: )
(野呂 巧)