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ずいぶん前のことのように感じる、辛かった1年前

今日のテーマは「1年前の1月を振り返る」
というわけで、1年前の手帳&ジャーナリングを見てみた。

去年の1月は、精神的にすごく荒れ果てていたなと思う。
今思い出しても胸が痛い。

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去年の6月に膵臓癌で亡くなった母の闘病生活、真っ最中の時期で、病院からは入院を勧められていたが、母と父の希望で自宅療養していた。
癌が見つかったときには、すでにステージ4まで進行していて余命宣告を受けていた。

本来なら、残された母との時間を大切にするべきだし、頭ではそうしたいと思っていた。
でも、明らかに悪化していく自分自身の体調、抗がん剤の副作用、さらに残された家族のことを心配し、母は日に日に情緒不安定になり、常に機嫌が悪かった。
もともと愚痴っぼいところはあったけれど、それが日に日に悪化し、毎日毎日同じような愚痴を聞かされることが多くなった。
そんな母と一緒に過ごす時間は私にとって大きなストレスになっていた。

「お願いだから入院して」
実際に口に出したことは1度もなかったけれど、切実に思っていた。

「仕事に行く前の時間や、仕事から帰ってきて疲れているときに、もう聞き飽きた愚痴や文句を何度も何度も言わないで。
私は接客業だから、仕事でもお客様のどうでもいい話に付き合っていることも多いの。
その上、帰ってきてまでママの毎日ほとんど同じような愚痴を聞かなきゃならない?」
と余命宣告されている母に怒鳴ったことがある。

最低。
愚痴くらい聞いてあげればいいのに。
別に笑って聞き流していればいいのに、いちいち真剣に受け取ってはイライラして、家族しか話し相手がいない母に怒鳴り散らすなんて。
自分の人としての未熟さ、器の小ささ、余裕のなさが許せなかった。

父と弟も一緒に住んでいるのだが、父と弟は母にものすごく優しかった。
そんな父と弟を見ると、余計に自己嫌悪に陥った。
なんで私だけ、こんなに冷たくて自分のことしか考えられないんだろうと、自分が許せなくて泣いていた。

当時の私は、会社での人間関係にも悩んでいた。
会社を辞めたいと考え、Webライターの副業を始めていたけれど、単価の低いYouTube台本執筆の案件しかお仕事がもらえておらず、稼げるのは月に2〜3万円。
とても会社を辞めれる金額ではない。

家にも会社にも居場所を感じることができず、他の居場所をうまく見つけることもできず、もういっそ1人暮らししてしまおうかなと頭をよぎりつつも、このタイミングで家を出ることもできず、自暴自棄になっていた。

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あれからたった1年しか経っていないのか……。
なんだかもうずいぶん前のことのように感じるのはなぜだろう。
人として未熟なことも、器の小ささも、余裕のなさも、本当に残念ながら私自身はなにも変わっていない。

だけど、今は家も会社も、それなりに自分の居場所だと思えるようになってきた。
そして、新しい居場所も見つけた。

ほとんど家事をしたことがない父と弟との生活を最初は不安に感じていたけど、意外と2人ともそれなりにはやってくれる。

相変わらず、会社を辞めたいと思うタイミングは多いけれど、少しづつ上司の考えを理解できてきたり、伝え方や伝えるタイミングもうまくなってきた。

なかなか思うようにいかないと悩みながらも、なんだかんだ続けてきたwebライターの仕事で、SEOができるようになってきた。

これはどれも、たまたま環境と人に恵まれて、そうなってきた部分が大きく、私自身はほとんど成長できていないのだけど、カメのようにスローペースでもいいから、ゆっくりと確実に、自分の人生を創っていこうと思う。

心配ばかりかけていた母に、いつか「今まで心配ばかりかけてごめんね。もう大丈夫だよ」と言える私になりたい。

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