プロレス&マーケティング第20戦 オカダの暴虐を引き出した清宮海斗の功績。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:プロレスにはテーマ、必然性、時代性が必要だという主張。選手の隠れた個性や才能を引き出せないマッチアップ(取組)は無意味。トップ画はhttps://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fproresu-today.com%2Farchives%2F212082%2F&psig=AOvVaw1UstLQEJassUlvuhqtseuq&ust=1678624169319000&source=images&cd=vfe&ved=2ahUKEwiF8e278NP9AhVUet4KHRZuDWEQr4kDegUIARDGAQ
テーマなきプロレスはプロレスじゃない
最近新日本プロレスをテレビで見ていて、一つ気になることがあるんですよ。
確かにプロレスの試合は行われています。
ヒロムが飛んで、オスプレイが絞めて、オカダが叫び、棚橋が愛を訴えてはいます。
しかし、オカダとオスプレイがなぜ、戦っているかわからない、ということなんです。
プロレスの魅力は単にそこでプロレスの試合が行われている、ということではなく、どうして戦っているのか、という必然性だと思うんです。
言い換えれば、テーマです。テーマなき戦いは、プロレスじゃない、と言ってもいい。
力道山vsシャープ兄弟で始まった日本のプロレスは、力道山が空手チョップで悪い大きな外人をやっつける、がテーマでした。
それからザ・デストロイヤー、ルー・テーズなどの世界の強豪vs力道山という図式があり、それがクライマックスになったのが、プロレス世界一を極めるワールドリーグ戦でした。
アントニオ猪木全盛時は、毎シリーズが特定の外国人レスラーで、最終戦の蔵前国技館で猪木とタイトルマッチを行う、というのがパターンでした。
外人はタイガー・ジェット・シンだったり、ジョニー・パワーズだったり、ボブ・バックランドだったりするわけです。
戦いのテーマもはっきりしていました。
シンは猪木を倒すこと、パワーズは猪木のNWF王座を奪回すること、バックグラウンドは猪木相手に世界4大王座の一つWWWF王座を防衛すること、といった具合です。
新日本プロレス黄金時代には、猪木がプロレス世界一に駆け上るためのプロセスをファンが見届ける、という明確なテーマがありました。
だから、いつテレビをつけても、戦いはそのテーマの中に組み込まれていて、なぜ猪木が戦っているかの必然性をファンは理解することができたのです。
ジャイアント馬場の物語を紡いだ”テーマ”
ジャイアント馬場率いる全日本プロレスも、しっかりしたテーマがありました。それはジャイアント馬場が世界の強豪外人を迎え撃つ、というものです。
全日本プロレス設立にあたり、馬場の国際的強さの象徴である、NWA認定インターナショナル王座を返上、新たにPWF王座が馬場の偉大さの代名詞になりました。
馬場がハーリー・レイス、ドリー・ファンク・ジュニア、など現役のNWA世界王者と戦うという醍醐味が、全日本プロレスの前半期のテーマでした。
その後、馬場がNWA王座を手にするのを潮に、三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明が覇を競う、いわゆる四天王プロレスが展開されました。
テーマがある戦い、そこにはなぜ両者が戦わなければならないかの理由、つまり必然性があります。
悪い外人をやっつけるヒーロー、世界最高峰に挑む東洋の巨人、憎悪を抱き街中でも襲いかかるインド人を迎撃する闘魂。
日本のプロレスがここまで発展を遂げた理由が、こうしたテーマ設定なのです。
プロレスは時代にマッチしないと発展しない
考えてみるとそのテーマとは大きく言えば、日本人レスラーが世界最高峰を目指し、チャレンジする物語なのです。
それは日本人が欧米に追いつけ、追い越せを合言葉に、世界を目指した方向と見事に一致します。
日本人がプロレスに夢中になったのは、時代がプロレスという価値観と方向にシンクロし、結果、国民が強い共感を持ったことが理由ではないでしょうか。
今、プロレスは安定した人気こそあるものの、昭和の時代のような社会的な現象にならないのは、社会もプロレスも、ある種世界のトップレベルに到達してしまったからです。
高度経済時代のような「追いつけ追い越せ」の精神は、なくなりました。
プロレス界にも、まだ見ぬ強豪外人というロマンはなくなり、日本=プロレス最先進国がほぼ達成された今、世間にもリングにも、あくなき強さというロマンをもとめる熱気は、ファンにも、レスラーにも存在しないように感じます。
プロレスの衰退は、社会の必然なのです。
テーマのある戦い、必然性がある戦いは、単に肉体のレースではないのです。
魂もその戦いに動員されるからこそ、そこに予想もしなかったサプライズが、ドラマが生まれるのです。
マスコミがそのストーリーを報じ、戦いには付加価値がつき、ファンはますます熱狂して、その戦いは価値を生みながら、ずっと継続するのです。
その端的な例が猪木vsタイガー・ジェット・シンの抗争でした。
テーマなき戦いはレスラーを消耗品にする
テーマとは、一つの型でもあります。
それはファンをワクワクさせ、試合に集中させ、感情移入をさせ、ドラマを生み、経済価値を生む装置なのです。
今の新日本プロレスに、ケチを付けるわけではありません。
しかし、テーマなき戦いは、選手のポテンシャルを十二分に発揮させないうらみがあるように思うのです。
例えばオカダには、オスプレイとかジェイ・ホワイトもいいけれど、猪木におけるタイガー・ジェット・シンのような相手をマッチングできないものか。
オカダが凶器攻撃で滅多打ちにされ、大流血、そこからまだファンの見たことのない鬼神のオカダが見られるかもしれない。
その意味では、このあいだの清宮海斗は、オカダのキラー的要素を少し引き出したといえます。
今日のプロレス&マーケティングを他業種に応用する
1.マーケティングにはテーマが必要。
なぜ、この商品をサービスを売らなくてはならないのか、なぜ買わなくてはならないのか、その理由を明示せよ。
例えば今年1年は、あなたの企業は「使えばわかる」というテーマを掲げてキャンペーンをやる。
作り手が絶対に品質に自信があれば、売らなくてはならないのテーマが自然にできるだろう。
2.マーケティングには必然性が必要。
なぜ、その製品にその材料が、部品が必要なのか、なぜ、違う製品とコラボしたり、タイアップしたりしなくてはならないのか、消費者を説得できなくてはダメだ。
例えばリッツクラッカーに、キリーのチーズ。それは相性が最高で、一番うまい組合せだから。
3.マーケティングは時代に乗ることが必要。
戦後復興、高度経済という社会の燃え立つような上昇志向に乗ったのが、力道山、馬場、猪木。
今の時代が求めているのは例えば「民主主義」。
しかし、恐ろしいことに、この真っ当なテーマを追っかけようという政党は、ない。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
じゃあ、また明日お目にかかりましょう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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