プロレス&マーケティング第84戦 プロレスに”権威”を取り戻せ。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:いま、プロレス界に足りないものは何か。それは権威、である。NWA、AWA、WWA、WWFの世界王座のことだ。スマックダウンだRAWとやっているけれど、WWEは権威でなく、エンタテイメントの館に過ぎない。おっとこれは次回のネタだった。
プロレスとは何か
僕はプロレスビジネスが成功するか、失敗するかは、それは「プロレスとは何かの定義次第」だと思っているんですよ。
例によって独断と偏見なのですが、僕はそれは主に3つある、と考えています。
1.プロレスとは権威である
2.プロレスとはエンタテイメントである
3.プロレスとは強さである
いずれも間違っていません、ていうか、プロレスとは何かに対する答えなどないのです。
ただ、僕は1のプロレスとは権威である、という”哲学”こそが、プロレスを未来永劫発展させる定義だと考えています。
いま”哲学”と申し上げましたが、答えがないということは”信念”とか”哲学”というしかない、そういう考えであります。
プロレスとは権威である、などと申し上げると、「何だ、このあいだのnoteでお前は権威主義を否定してたんじゃないかよ、とツッコミが入ると思いますが、確かに権威主義はいやらしいもので、唾棄すべきです。
ただ、もう一つの面も直視せざるを得ないのであり、それは人々は権威というものに反発もしながら、おそれおののき、仰ぎ見るという事実です。
そして、事実、1950年代から80年代にかけて、プロレスビジネスは、その人間の普遍性ともいうべき「権威にひれ伏し、渇仰する」という権威主義を中心に栄えてきたのです。
昭和プロレスの中心は4大タイトル
WWE一極時代が訪れる前、アメリカ・プロレス界は前述の世界4大タイトルを巡るマッチメイクで、一時代を築いていました。
アメリカだけではありません、日本もそうです。
すでに力道山がプロレスを日本に連れてきた1958年から、NWAはプロレスの最高権威と持ち上げられていましたが、日本人がNWA世界王座に挑戦する機会はありませんでした。
日本のプロレス界は、力道山から受け継いだ”ビジネス王座”に過ぎないNWA認定インターナショナル王座の防衛戦をジャイアント馬場が行うことで、お茶を濁していたのです。
プロレスとは、イマジネーションビジネスです。
NWA王座に挑戦できないからこそ、ファンはその価値を勝手にふくらましていったのです。
ジャイアント馬場世界最強を証明した1974年
そして、それが爆発したのが、1974年全日本プロレスがNWAに加盟を認められ、その年に同団体は「NWAチャンピオンシリーズ」と銘打って、ハリーレイス、ドリー・ファンク・ジュニア、ジャック・ブリスコなどの現役王者たちを一気に招聘したのです。
そしてあろうことか、日本で初のNWA世界王座戦が同年12月2日に鹿児島で行われ、我らがジャイアント馬場が、ジャック・ブリスコを破り、日本人初のNWA世界王者に輝いたのです。
プロレスファンにとって、1974年はまさに夢がかなった年でした。
なにせ、眼前で待望のNWA王者を見ることができたのみか、日本人が最高峰のベルトを巻いたのですから。
権威があったからこそロマンがあった
全日本プロレスは、後に、ジャンボ鶴田がニック・ボックウィンクルを破り、AWAの世界タイトルも奪取しました。
アントニオ猪木率いる新日本プロレスは、結局NWAに加盟はかないませんでしたが、4大王座のしんがりに位置するWWF王座を、1979年11月30日、猪木がボブ・バックランドを破り獲得しました。(3大王座という場合もあり、その場合WWAは省かれる。猪木王座獲得はWWFの公式記録には載ってないという話も)
日本マットで4大タイトルをめぐり、華々しくアメリカとやり合ったということではありませんでしたが、昭和プロレスはその根底に4大王座という権威が影に日にプロレス界に大きな影響を与えていたのです。
NWAを始めとする4大王座は、レスラーとファンにとって最高権威であったとともに、夢であり、あこがれであり、ロマンであったと言えるでしょう。
権威は目に見えないものですが、プロレスの場合はそれが目に見える形で存在しました。
世界王者を認定するベルト、です。
そして、プロレスにおけるそうした権威は、ただの見せかけではなかったのです。
エド・ストラングラー・ルイスから始まって、ルー・テーズ、ジン・キニスキー、ハリーレイス、ファンク兄弟などのNWA王座をめぐる激闘は、東スポやプロレス雑誌が常時報道し、それを見た日本人はNWA王座が真の実力の証だと確信するに至るのです。
AWA、WWFしかりです。
権威はロマンのみならず、実力の別名でもあったのです。
しかし、いまや4大タイトルも、それを認定する団体も雲散霧消してしまいました。
あるのは、自らを「スポーツエンタテイメント」等と言ってはばからないWWEだけです。
申し上げたように、プロレスの定義にいいも悪いもありません。
しかし、1の定義の「権威」が消えてしまったことが、僕はプロレス界の発展に立ちはだかっている最大の敵、だと考えるのです。
これについては、また後でお話しましょう。
野呂 一郎
清和大学教授