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キミが落ちこぼれなのは、資本主義のせいだ。

この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:落ちこぼれという言葉は、今の時代ほめ言葉だからね。それは資本主義の枠を飛び出した異才のことだ。しかし、なぜ落ちこぼれなんて、不名誉なレッテルを貼られるんだ?資本主義を経営学の立場から定義する。

資本主義は貧乏を創る?

どこかの先生が、そう言っていたよ。

僕もそう思う。

経営学の立場から言うと、資本主義は弱者を創るといいたい。

それも意図的にだ、確信犯的な所業なんだ。

資本主義は例えてみれば、一つの工場だ。

https://qr1.jp/7I0p0I

この工場の運営ルールは、一つだけ、それは”効率”だ。

効率とは例えば1分間に10の動作をこなすことが、標準だ。

10の動作をこなせない労働者は、クビになるか、他部門に飛ばされる。

機械も同じで、1分間に100の動作を出来ない働きの悪い機械は、お払い箱になり、新しいもっと動作を多くできるマシンに取り替えられる。

原材料も同じだ。

鉄を作っている工場では、鉄鉱石を加工して鉄にするが、鉄鉱石によっては、叩いても、伸ばしても、溶かしても、いい鉄にならないものがある。

売れる鉄という製品にならないと判断されたら、その鉄鉱石は排除される。

そうだ、学校も工場と同じだ。

試験をやらされ、60分で正解率が60%以下だと、「バカ」と認定されて、学校をやめさせられたり、進学クラスに入れてもらえない。

先生の言うことを聞かないと、不良品とみなされ、学校を追われたり、特別の「バカ」だけ集まるクラスに入れられる。

もちろん「バカ」というのは、資本主義サイドの差別用語に過ぎなく、本稿の趣旨は「バカこそ天才」つまり天才バカボン、ということなのだ。

「バカはバカじゃないのだ!」https://qr1.jp/WZum3j

「効率が悪い」とは、一定時間に標準的なパフォーマンスを達成できないことで、学校ではそれは「バカ」と呼ばれ、差別される。

しかし、これが資本主義なんだ。

効率が悪ければ、工場の運営に都合が悪ければ、はじかれるんだ。

工場では不良品、学校では落ちこぼれと呼ばれ(今の時代はそうはっきりは言わないけどね)、ハブられるのだ。

https://qr1.jp/hA5Xqz

でも、全体的な効率のために、不良品は排除されなければならない。

工場も、学校も、しかし、どうしても一定数は全体にとって都合の悪いものがでてくる。

それが僕の言う「弱者」であり、経済学者の言う「貧乏」なんだ。

つまり、平均のパフォーマンス以下の生活力しかない人たちだ。

もちろん本来はあるんだが、社会にハブられちゃっているんだ。

教育格差が生む社会の分裂

しかし、資本主義の権化たるアメリカは、社会の分裂に悩んでいる。

社会の分裂とは、貧富の差の拡大にほかならない。

https://qr1.jp/9kHl7I

人間を良品、不良品に分ける作業は、やはり学校で行われる。

不良品に認定されると、社会的に上に行く機会を奪われる。

いわゆるいい大学、いい会社が、不良品、落ちこぼれを拒否する。

エスタブリッシュメント(社会の上級階級)に拒否されると、生活が苦しくなる、つまり貧乏になる。

貧乏に生まれると、学校で、落ちこぼれの烙印を押される可能性が高くなる。

なぜならばお金がないと、参考書も買えないし、家庭教師もつけられないからだ。

かくしてアメリカは教育格差が広がり、それが貧富の差を広げている。

ナレッジワーカー(知識労働者)が主力の現代経済では、教育格差がそのまま貧富の差に直結している。

資本主義の矛盾

資本主義はあくまで自由競争が建前で、マネーをつかむ競争なんだけれど、結局は強いものが勝つ仕組みと言える。

強いものとは、必ずしもカネをたくさん持っているもの、とは限らない。

能力やスキルを持っているものも強者だ。

しかし、ここがトリッキーなところなんだ。

能力やスキルって、さっきの工場や学校のところで解説したんだけれど、工場や学校が決めた”効率”の基準にそったものではないと、不良品とされちゃうんだ。

https://qr1.jp/wGHkwj

キミもそうかもしれない。

キミは気まぐれで、気分のいいときしか実力が発揮できない。学校の形式主義が嫌いで、たまにしか登校しない。先生に問題児扱いされ、差別されるから教科書なんて読んだことない。みんなと一緒に行動できないから、ハブられ、いじめられている。

資本主義の劣等生、だが、本当の天才。

そんなキミがテストを受けると、もちろん、学校が決めた正解になんかたどり着かない。

勉強どころじゃないし、先生や学校の考えと違うし、そもそもテストなんかで自分を評価されたくないから、やる気もない。

しかし、資本主義っていうのは、そんなキミを”落ちこぼれ”に認定するんだ。

かくして、キミのような隠れた天才は、社会から葬られるんだ

仕方がない、社会に都合のいい”効率”を備えてなきゃ、資本主義に受け入れられないのだ。

自分の首を絞めている資本主義

人類は、自由競争でマネーを取り合えば、幸せになると信じて、資本主義が生まれた。

しかし、今や資本主義が人間を不幸にしている。

貧富の差を生み、分裂を広げている。

テクノロジーは進化したけれど、こうした問題を解決する制度や知恵は生まれてこない。

何でもカネや効率に変えないと気がすまないから、だ。

資本主義は、その価値観に合わないキミの、ユニークなポテンシャルに満ちた才能を活かすことが出来ない。

多様性という言葉が、闊歩している。

しかし、本当の多様性は、資本主義の偏狭なルールを取っ払ったところにしか生まれない

具体的に言えば、あらゆるテストをやめることだ。

人間の才能やポテンシャルは、何かの尺度で測れるものじゃないんだ。

でもさ、人間社会って優秀さを、何らかの形で定義しないと、機能しないんだよ。

だから、一定時間で組織の価値観に沿ったパフォーマンスをできることを、”優秀”と定義し、それができないと”落ちこぼれ”とすることに決めたんだよ。

しかし、世の中は今、標準的な優秀な人間では解決できない問題があふれている。

資本主義という邪教

落ちこぼれのキミ(笑)、キミの出番だよ。

でも、キミは言うんだな。

「ワタシ、バカだから」。

ひどい、見当外れの思い込みだ。

これが資本主義の怖さであり、悪なんだ。

資本主義に合わないものを、精神の牢獄に閉じ込めてしまっているんだ。

まさにこれこそが洗脳というものだ。

笑えないよ、みんな、あの宗教のことを。

一番恐ろしいのは、資本主義という邪教カルトではないだろうか。

https://qr1.jp/U8dDUT

野呂 一郎
清和大学教授







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