セレンディピティとは単なる偶然ではない
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:セレンディピティとは何か。偶然こそ、人生を動かす最も大きな力かもしれないという気づき。
意外な人がセレンディピティを説いてる
それは今また、元祖「知的生活」の提唱者として脚光を浴びる外山滋比古(とやま・しげひこ)さんです。2年前に96歳でなくなりましたが、知の方法論、日本語の書き方、評論等で長い間日本人に大きな影響を与えた方でした。
きのう偶然ブックオフで彼の「50代から始める知的生活術」という本が目に止まり、さっき読んだんですが、外山先生、”セレンディピティ”なんて言う言葉を使っているんです。
セレンディピティって、いわゆるスピリチャル系の言葉で、雑誌ムーなどがよく特集する、あれですよね。
えー、あの外山先生がセレンディピティ?僕は興味をそそられ、そこを熟読しました。
セレンディピティそのものは、オックスフォード・ディクショナリーにもある普通の英単語で、こういう意味が載っていました。
最近は経営学の専門家もセレンディピティ、って言うようになってきているので、外山先生の口に上ってもおかしくないのかもしれませんが。
さて、そのセレンディピティ、辞書的には偶然のラッキーな出来事みたいな意味なのですが、「しあわせな偶然を引き寄せるチカラ」という意味で使われているようです。
外山先生流のセレンディピティの解釈
ムー的な解釈ならば超常現象となるし、経営学のある先生は、ツイッターやポストイットの発明をセレンディピティの一種だと考えているようです。
僕はしかし、下に書いた外山先生の解説こそ、本質をついており、昨日のブルックスさんの言葉のように、胸に刺さったのです。
これだけでは、外山先生が何を言っているのかわかりにくいのですが、前段のこの言葉を読むと、彼の真意がわかるような気がするのです。
シンクロニシティ、かなあ
きのう僕は、ニューヨーク・タイムズの論説委員のブルックスさんのことばを引用しました。
それは戦争は”人間の本質”が引き起こすものだ、という主張です。
外山先生のこのセレンディピティ論も、同じく人間の本質に迫ったものだと感じるのです。
人間に起こる出来事は、理屈ではなくて、外山さんの言うように「われわれの意志や希望とは別に存在している」なにかがもたらしている、ということではないでしょうか。
セレンディピティとは偶然であり、そして偶然ではないのです。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー