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youtubeよりnoteの時代。
この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:なぜ、noteの時代なのか。それは「書いてまとめたもの」こそが「撮ってまとめたもの」よりも、これからの時代にあっているからだ。しかし、まだそのことがゆきわたてないのは、もちろん僕を含めて、note執筆者がnoteの可能性に気がついてないからではないか、という愚考。
noteの可能性
最近読者から、「わかりやすかった」「ためになった」などのコメントを頂戴することがあり、僕なりに感じることがあるんです。
それは、「えっ?案外youtubeよりも、noteのほうが、いいんじゃね?」ということなんです。
でも、読者の皆様はこうおっしゃると思うんですよ。
「何いってんだお前、youtubeやTikTok 、インスタは映像だぜ。
文字読むよりも、見るほうが楽で、わかりやすいから、noteのように辛気臭いのより、ずっといいだろう、百聞は一見にしかずって言葉を知らないのか?」
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でも、そうじゃないと思うんです。
文章が映像に勝る理由
僕の拙いnoteにわかりやすいだの、ためになるなど言ってくださっている方々がいる、そんな意外なことがあって気がついたのは、noteの可能性です。
僕のnote記事がわかりやすいなどはないのですが、でも考えてみればnoteという媒体は、わかりやすさを表現するのに、他の媒体よりすぐれているんじゃないかと気がついたのです。
その理由を一言で言えば、「読み手にストレスを与えない」ということです。
わかりやすさとは、読みやすさのことです。
それには、「まず読んでやろう」という気持ちを読み手におこさせることが必要です。
noteは、まず見出しで勝負です。
いい意味で読み手の興味をそそる見出しは、ある意味文学的素養も必要だし、マーケティング的なマインドも必要です。
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中身も見出しで見当がつくし、noteは目次もつけられるし、ざっと文章全体のレイアウトや、使っている言葉、そして段落のサブタイトルだけ見れば、面白いか、面白くないか、わかるのです。
しかし、これがyoutubeだとどうでしょうか。
発信者のファンであれば、中身はどうでもいいでしょう。
探しているテーマを扱っているyoutubeならば、参考にならないことはないでしょう。
でも、その他の論評、解説、パフォーマンスなどはどうでしょうか?
最後まで見ないと、そのコンテンツは見る側にとって価値のあるものかはわかりません。
みなさんも経験ありませんか?
何かについての解説記事や、論評を10分も見させられた挙げ句、よくわからないかった、つまらなかった、ということが。
そもそもnoteが読者を失望させない理由
noteはその失望がありません。
それは、構成をしっかり組み立てることができるから、です。
これは文章というものの特徴でもあります。
書き手は何かを論じたり、何かについて意見を述べる時に、理路整然と自分の考えを読み手に伝えなくてはなりません。
まずは論理的に考える事が必要ですし、伝え方も重要になります。
論理だって物事を考え、起承転結など、文章の展開の仕方も考えなくてはなりません。
そして、説得力が必要で、その論をサポートする実例やデータも、盛り込まなくてはなりません。
論理と伝え方ができていれば、読者を失望させることはまずない、と言っていいでしょう。
しかし、youtubeなどの映像では、映像の送り手は、他の映像も交えますが、しゃべるのがメインです。
もちろん全体の構成は考えているかもしれませんが、文章にまとめるほうが、読者への説得力は強いのではないでしょうか。
映像は、イメージで誤魔化せますが、文章はそうはいかないからです。
前後のつながり、言葉遣いの適切さ、その一行の文章に矛盾がないか、これがチェックされるからです。
よいnoteはそれらが匂い立っているので、あなたはその記事に触れた瞬間、読むべきか否か即判断でき、時間をムダにしなくてすむのです。
note最強論の理由4つ+1(可能性)
noteはこれからの時代、価値ある情報を求める人々たちにとって、最高の媒体だと信じるものですが、その理由は4つ、そして可能性として+ワンあります。
1.読み手の大事な時間を盗まない
現代人にとって、そして近未来の人々にとって、最も価値のあることは、「時間」ではないでしょうか。
タイパなどの言葉がもてはやされるほど、若者も、どんな情報を得ようとするときでも、どのくらい時間コストがかかるかを、まず気にします。
noteは、読み手の時間を盗りませんよ。
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そもそも、10分じっと見なくては、その情報の価値がわからないyoutubeたちと違って、noteは見出しと目次、そしてざっと見て(言葉遣い、レイアウト、文章の長さ)、読むべきか判断できます。
10行読んでつまらなければ、読まなくていいのです。
でも、あなたが読むべき文章は、そもそもオーラが匂い立っていますから、瞬時にビンゴの判断ができますって。
noteなら、1秒でその情報の良し悪しがわかるんですってば。
僕は不思議でならないんですよ、10分以上の映像を見る人がいることに。
でも、noteのほうが「早くいい情報を取れる」とみんな思ってきてますよ。
このことは、タイパ至上主義の時代に絶対の有利ですって。
2.共有しやすい
youtube見てよ、って10分もの映像を友達に送る人がいますけれど、ありがた迷惑ですよね。
でもnoteならば、ざっと1秒眺めれば、それで中身がわかりますから、相手に負担をかけませんよね。
そして、「コンテンツの一部だけ見て」、も可能です。
映像で9分2秒のとこ見て、は厄介ですって。
3.繰り返し読みやすい
映像を何回も見る、なんてたるいでしょ。
どんな面白いものでも。
でも、文字ならば読めばいいし。
そして、いい文章って繰り返しに耐えるものなんですよ、そもそもが。
映像よりも、実はエンタテイメント性があるのが、文章なのです。
4.書き言葉の説得力
結局万人が納得する媒体って、文章なんですよ。
日本国憲法だって、ポツダム宣言だって、文章で書かれているのは、誰がどう読んだってスキがなく、あらゆる反論に抗弁できるだけ、練り上げているからです。
映像じゃ、それは無理なんですって。
言葉、なんですよ、説得力を一番持ってるのは。
プラス・ワン:わかりやすさを伝えやすい
僕が一番強調したいのは、ここですね。
しかし、これはまだ顕在化してないので、可能性、とします。
いや、僕の拙いnoteをたまたま「わかりやすかった」などと持ち上げてくださった方がいたから、ではありませんよ。(笑)
映像のほうがわかりやすい、みんなそう思うよね。
でも、それちがうとおもうんですよ。
文章のほうがわかりやすくできるんです。
でもね、僕の拙い文章は論外にしても、世の中、noteを含めて「わかりやすい文章」ってほどんどお目にかかれないんですって。
ここでこんなこと言っちゃいけないんですけれど、4月からある経済新聞読むのやめようと思うんですよ。
なぜならば、「わかりにくい」から。
これって、わざとわかりにくく書いてる、ってこともあると思うんですよ。
わかりにくく書くことが偉いと思っている人たちが、たくさんいるからです。
それが権威になって、表現の差別化になっているからなんです。
あとは、学者のおバカさんたちね。
わかりにくい表現しかできない人たちなんです。
もう一つの類型は、僕のように力がないゆえに、わかりやすく書けない書き手です。
noteって、単なるブログじゃなくて、小論文作成コンテストみたいな趣がある、あるテーマを読み手に理解させる、っていう場だと思うんですよ。
noteは書き手にとって、今までにないチャレンジであると同時に、わかりやすく書くこと、という新しい能力を要求している媒体なのです。
小説やエッセイとはまた違う、書くことの可能性が試される場所なのかな、と思うのです。
でも申し上げたように、1-4までの映像にない利点があり、5も書き手にチャレンジの機会を与えているのです。
僕も、わかりやすいnoteを書くという挑戦に、乗り出すことを決意しました。
とりあえず、来週から新しいカテゴリーを作ることにしました。
「日本一わかりやすい、経営学的経済学」っていうジャンルです。
ちょっと楽しくなってきたな。
野呂一郎
清和大学教授