
今年やっとわかった「noteを使った最高の能力開発」の方法。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:いくら一生懸命一人で机に向かって勉強しても頭が良くなったり、能力が身についたりはしない。じゃあどうするか。noteを゙書き続けること、が答えだ。noteで堂々と自分らしくしていれば、あなたを評価してチャンスを与える人が出てくる。その時があなたが殻を破る瞬間だ。
大手から執筆依頼が来た
今日、ある出版社から、原稿の執筆依頼が来ました。
noteの問い合わせ機能を通じてのメールで、これは出版社の方が僕のnote記事を読んで下さっているのだな、と思いました。
とたんに何かやる気が出ました。
人間は他者から評価されれば、やる気が出るものなのですね。
単に勝手な思い込みに過ぎないのですが、拙いnote記事を見て、その出版社の編集方針と合ったんだろう、まあ何はともあれ評価されたから、これをいい風にとって、はずみをつけよう、そんな気持ちになったのです。
能力とは何か
いつも、考えるんですよ。
なんで俺ってバカなんだろう、なんでこれしか能力がないのだろう、って。
で、わかったんですよ。
「頼まれてないからだ」、って。
どういうことか。
それは、他人から何かをやって見せてくれ、と頼まれない限り、
能力は身につかないんだ、ということです。
例えば、僕の友人に「母親に腰痛を治してほしい」と頼まれて、鍼灸師になった男がいます。
頼まれることには、やむを得ずやらざるを得ない状況に追い込まれることも含まれます。
例えば、理科系は大嫌いだけれど、どうしても医者になりたいから、仕方なく数学を勉強せざるを得なかった、ような場合です。
他人の期待に応えようと、できもしないのに見栄を張って「できますよ」というのも、他人から頼まれたことに入ります。

例えば、何を隠そう僕は、T大学の非常勤講師の話があった時に、「おまえ、農業経済は教えられるか?」と言われて、農業も経済も出来ないのに「できますよ!」と即答し、教壇に立ったことがあります。
「えっ?それで農業経済教えられる能力が身についたの?」、というんですか?
必死にアメリカの教科書を取り寄せて勉強しましたよ、でも、基礎は理解したけれど、学生たちに「教える」ところまでは無理でした。
でも、動機はどうあれ、他者から頼まれたり、期待されたり、喜ばせたかったり、有能に思われたかったり、することで能力って開発されると思うんですよ。
そう言うと、読者の皆様は、「俺は受験校出身で、他者に無理やり嫌いな勉強をやらされて、結果やる気を無くして、能力なんか身につかなかったぞ、どうしてくれる!」と言われるでしょう。
そこなんですよね、能力が身につくのは、あくまで頼まれた時であり、自分から「やらざるを得ない」と立ち上がった時だ、ということです。
頼まれる人になると頭が良くなる
頼まれる人、って一体どういう人でしょう。
それは、こいつならできるんじゃないか、こいつに一つまかせてみよう、こいつにチャンスをやろう、と思われる人ではないでしょうか。

そのためには、自分の能力やキャラクターを知らせる、頑張っているところを見せる、ことが必要です。
その意味で、noteの継続って意味があると思うんです。
「こいつ頑張ってるな」と思わせることができるから、です。
現代において、あなたをもっとも効果的に見せることができる場が、noteではないでしょうか。
noteのたった一つの記事に、誰かが感銘して、執筆や仕事を依頼してくる、ということもあるでしょう。
しかし、おそらく仕事を依頼してくるのは、あなたのたくさんの記事をよんで、あなたのキャラクター、価値観、特徴を把握して、「この人はウチの家柄と価値観に合うから起用しよう」となるのではないでしょうか。
今まで僕が「ドジでのろまな亀」だったのは、頼まれる人じゃなかったから、です。

頼まれる、とは、考えてみると、チャンスを与えられること、にほかなりません。
能力のある人って、能力を開発するチャンスを与えられた人なんです。
逆に、そういうチャンスを与えられなければ、あることをどんなに自分で頑張って勉強しても、身につかないのではないでしょうか。
人から頼まれたら、期待に応えようと、いやでも必死にやりますよね、締切に間に合わせますよね、そうした「無理」を強いられることで、初めて能力が身につくのです。
結局自分が能力をつけたいと思って、計画的にこつこつと勉強するなんてことよりも、
「頼まれた→評価されてうれしい→よしやるぞ→期待に応えたい」
というダイナミックな外的刺激のほうが、あなたの隠れた潜在能力の扉をより速く、しっかりと、力強く開けるのです。
そのためには、仕掛けが必要です。
noteは、効果的なツールではないでしょうか。
連絡くれ、など書くのは逆効果
よく、興味があればDMくれ、とかの文言を見ることがありますが、それは言う必要がないと思うんですよ。
はっきり言うと、逆効果では。
なぜならば、仕事の依頼とは、おそらく魂のレベルで依頼するものと、されるものが引き合う必要があるからです。
つまり依頼側が「なんとしてもこのひとと結ばれたい」と思わない限り、マッチングはないからです。
興味があれば連絡を、などという言葉からは、あわよくば僥倖を、という自信のなさと人頼みのニュアンスを感じさせて、恋も冷めるかもなどと危惧します。
ものほしげな風情はあなたの価値を下げますって。

ですから、人から頼まれる人というのは、人を頼まない精神を持った人なのではないでしょうか。
仕掛けが必要、と申しましたが、仕掛けがないことが、最も効果的な仕掛け、かもしれない、ということです。
頼まれるのは一度でいい
人に頼まれた時に大事なのは、「その気になる」ことです。
執筆依頼?取材依頼? ワタシ気に入られたんだ、能力あるんだ、世の中に認められたんだ、そう思い込むことです。
それでその気になると、間違いなく人生が好転します。
自信を持たねばなりません。
人に頼まれれば、いやでも自信になりますよね。
それがプラスのループを創るのです。
僕も、昨年夏、日経新聞の取材依頼をもらって、その気になったんです。
他者からの仕事の依頼は、弾みになるし、はずみにしなくてはいけません。
noteは、他者からの依頼をもらうためのツール、などと申しましたけれど、もとより、noteの功徳はそんなケチなことではありません。
100人100様のメリットがあるはずです。
でも、やっぱり、他人からの引き合いも、その一つだよ、とは言いたかった。
それが本当の能力を引き出す、最高の方法と信じるからです。
ドジでのろまな自分も、noteで救われるかも。(また言っちゃった!)
野呂 一郎
清和大学教授