なぜ、長州力は大仁田厚に「またぐなよ」と言ったのか?孫子の解釈。
戦わずして勝つとは
高校生の皆さん、元気ですかー。
もう、孫子の兵法、ここまでやったら最後までやるしかないね(笑)
例によって、大学授業で使ってる、ファイルを持ってきたよ。今日のテーマは、戦いに勝つ基本2の「戦わずして勝て」だ。これは、基本の最初に持ってきてもいいし、あらゆる戦いの第一に来るべき教えかも知れない。
では、戦わずに勝つとはどういうことか、考えてみよう。
孫子の時代の戦(いくさ)を考えれば、相手に戦闘意欲を起こさせない状況がまず考えられる。
圧倒的な兵力の差があるとき
古今東西、著しい兵力の差を克服して勝利した例は、ままある。しかし、有能な将ならば、勝利の帰趨は見えるもの。
その正反対の例が日米開戦だった。8月になると、嫌でもあの惨禍を日本全体が思い出すことになる。
事前の交渉で戦わないことを双方合意する
条件交渉が難しい。そして戦を率いるものはよくも悪くも攻撃性が高く、功名心にかられており、一か八かの開戦を選ぶ。一方に壊滅的な被害が及び、停戦、休戦の申し入れをするなどのことがない限り、初戦から交渉を行ってで戦いを避けるのはレアケースだろう。
そもそも、戦いは偶然の出来事から勃発することも多く、交渉という冷静な状況は戦争にはまれだ。
戦闘演習をみせて、相手の戦闘意欲を削ぐ
米韓が共同軍事演習をしているからこそ、北朝鮮は開戦を仕掛けてこないのだ。
現代における戦わずして勝つ、とは
戦うことは、コストがかかる。コストをかけるに値するか、これを計算しコストをかけるに値しなければ、戦いを放棄すべきだ。これが現代における「戦わずして勝つ」ということだ。
現代における戦うとは、同じ市場で同じカテゴリーの製品で、市場占有率を争い、負けたほうが市場を去る、といったシチュエーションである。
しかし、コカコーラとペプシがほぼ9割を占めているコーラ市場で、コカコーラとガチンコ勝負をかけようというコーラメーカーはいるまい。こんなCMにも対抗しなくちゃ勝てないでしょ。
参入障壁を高くする
これはマーケティング用語だが、僕らの生活に応用が効くので、とりあげよう。要するに、戦わずして勝つとは、相手がこちらに挑みかかってこなければいいのだ。土俵に上がってこれなくすればいいのだ。
戦いは、不意打ちもあるし、奇襲もあるが、まずは相手の土俵に上がることが必要だ。つまり、戦いの基本的な準備だ。
例えば先のコーラ市場で戦うためには、コーラを製造する工場、ノウハウ、流通のノウハウ、販売網の整備が欠かせない。これをクリアしてはじめてコカコーラと戦う準備ができる。
しかし、ここまで準備するのには、何十億円の投資が必要だろう。戦いの場に身を置くために必要なすべてを参入障壁という。これが高ければ、そもそも、敵は戦いの場に入ってこれない。
長州力「またぐなよ」の意味
プロレスファンのキミのお父さんに、聞いてほしい。「ねえ、お父さん、『またぐなよ』って言葉が金言だって、誰かに聞いたんだけれど、誰の言葉でどういう意味?」。以下、タココラ問答(笑)、いや父子の応酬だ。
お父さん:「いまから20年前の話、新日本プロレスの経営が傾いていた時があったんだ。その時に、電流爆破デスマッチで一世を風靡した大仁田厚が、新日本プロレスにケンカを売ったんだ。その時の現場責任者が長州力だった。
新日本の道場に挑戦状を持って殴り込んだ大仁田が、リングに入ろうとしたとき、長州力が『またぐなよ』って言ったんだよ」。
キミ:なんでまたぐなよ、って長州力は言ったの?
お父さん:それはね、長州力は「お前は顔じゃない」って言いたかったんだよ。
キミ:新日本プロレスと戦う資格がない、ってこと?
お父さん:そうだ、長州力は新日本プロレスをメジャーの中のメジャーと考えていた。大仁田はその真反対にある「インディ(弱小団体)」で、特に彼のデスマッチをプロレスとは認めず、“邪道”と見下していた。
邪道が正道と戦う資格はない。自分たちの神聖なリングにすら入れない、戦う以前にお前を認めない、という姿勢を「またぐなよ」という言葉で表現したんだ。
キミ:なんか”差別“じゃない、それって
お父さん:今の感覚特にこの連載のwokeなんて見ると、そうだね。しかし、そのときだって、長州力差別やん、ということを言う人はいた。
ただ、わざとそういう“社会的に物議を醸すような絵を作って”、マスコミを巻き込もうとする“あざとさ”もプロレスの一部なのさ。
キミ:またぐなよ、は一種の参入障壁なんだね、大仁田が考えているほど、新日本プロレスと戦うのは簡単じゃない、って長州力は言いたかったんだね。
でも、結局は長州力は大仁田と戦ったじゃない。高い参入障壁を乗り越えたってわけ?
お父さん:結局はカネだ。長州力が言った「またぐなよ」は格が違う、という意味だ。
しかし、その格という参入障壁を乗り越えたのは、大仁田が持っていた「経済価値」つまりカネを生む力だ。
大仁田は邪道ゆえのネームバリューはすごかったし、プロレス的にも邪道vs正道で絵になり、カネになる戦いだったんだ。
経営が立ち行かなくなっていた、新日本プロレスはプライドをかなぐり捨てても、実利を取らざるを得なかったという事情もある。
キミ:参入障壁があっても、カネになりゃ戦うってことか。大人の世界は醜いね。
お父さん:それが現実だ。
明日に続くよ。
最後まで読んでくれてありがとう。
また明日会えればいいね。
野呂 一郎
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