
経営学の試験なんてやらせるバカいるかよ!
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:今日、試験だったんだけれど、考えてみると試験なんてやる必要あるのかな?いや、経営学って試験をさせちゃいけないジャンルなんだ。「試験なんてやらせるバカいるかよ!」って、また何で急にそんな過激なこといい出すんだ。でもそれには理由があるよ。
パワハラに近い位置にいる教師
試験の時は、キミたちのほうが不利な立場になるよな。
なにせ、教師は生徒の生殺与奪の主導権を持っている。
・試験の点をつけるのは教師だから
・試験の正解を決めるは教師だから
・試験問題の配点を決めるのは教師だから
でも、そもそも、なぜ試験なんかやる必要があんだ?
学習の成果、進捗具合をチェックする?
クラス分けをする?
偏差値を出して、どのレベルの学校に入れるかの目安にする?
まあ、それは高校までは、いろんな大人の事情があるから仕方ないんだろうけれど、大学はもっとクリエイティブなやり方があるんじゃないかなあ。

例えば、試験という物差し自体が、絶対的なものでないのに、それ一本でやろうとすること自体がおかしいとも言える。
文科省が前期、後期90分✕15回やらなきゃ単位を認めないと同じで、試験を評価の絶対的な尺度にするのは、教条的に過ぎるんだよ。
教条的って、昔の言葉すぎるな、つまり、決まり切った固定した考え方ってことだね。
試験なんてやらなくていい
僕はいつもこんなふうに学生にうそぶいているんだ。
「授業の効率を考えるならば、お家で放送大学の授業をテレビで見てりゃいい。大学の授業は、君たちが授業という空間にいるだけで、刺激を受け、進化し、次元が飛翔するもっとずっと価値のあるものなのだ。キミはスマホをやろうが、寝ようが、おしゃべりをしようが、この空間にいてくれればいい。必ずや15回この空間に参加してくれれば、間違いなくキミは刺激を受け、進化し、飛翔することを保証しよう。」
困ったことに、これが謙遜でもなんでもなく、ホンキでそう思っているんだから始末が悪い。
だから、次の台詞は当然こうなる。
「キミたちはだから、毎週ここにいるだけでいい。当然試験なんかやる必要なんかない。でも、◯◯◯が試験をやれって言うので、しょうがないからやるだけだ。以上。」
これを読んでくれているキミは呆れるだろうが、でも、教育だとか教育効果に関する考え方って、一つじゃないだろ?
経営学には、教育効果に限らず、正解なんかないんだって。
試験をやらないっていうのは、立派な一つの見識なんだ。
つまらないことはやるな
むしろ、試験勉強をやらせることにつながるなら、僕は試験はヤバいと思っている。
なぜならば、僕が学生に一番教えたいことって、「楽しくなければ、勉強してはいけない」、「やらされる勉強は高校でおしまいにしろ」ということだからだ。
つまり、経営学における教師の役目は、「経営学って面白いんだよ」っていうことを、手を変え品を変え学生に見せることなんだ。
だからプロレスも使うし、怪奇経営学なんてジャンルも創って見せるし、ゼミでは超能力開発法なんかもやるし、日本中で最も物議を醸す授業をこの20年間やってきた自信はある。(笑)
その集大成が、プロレスの経済学であり、アントニオ猪木最強の戦略でもある。


noteこそ最高の教科書
そして、そうした奇天烈な教科書の他に、真打ちのテキストがある。
そうさ、今書いてるnoteさ。
今日で連続1150日以上毎日、A45枚くらいのボリュームを書いている。
テーマは、世界の政治、経済、企業の動き、文化、スポーツ、教育からプロレスまで、地球上でおこっている最新の変化について、経営学で解明することだ。
経営学はね、まず、最新の世界の動きを題材にしないと意味がないんだよ。
そういう意味で、リアルタイムの教科書が必要なのさ。
教師は、リアルタイムの題材を使った教科書を持ってないとダメなんだ。
いや、それに尽きるのよ。
それを学生に提供できればいいのよ。
一応、毎回授業のテーマを決めて、パワーポイントでまとめ、それに関連した動画も用意するよ。
でもそれはあくまで、世を忍ぶ仮の姿というか、世間に指を刺されないように「やってますよ」というポーズに過ぎない。
でもそれだけでも、かなりおかしいが(笑)
まあでも、勝負はnoteってことなんだ。
一番いい、経営学の勉強はね、だから、僕のnoteを読んで、自分なりの考えを書くことなんだ。
できりゃ、僕にそれを投げつけて、フィードバックをくれればいい、そしたら僕も返すから。
いやいや、誤解しないでほしい、僕のnoteがいい、なんて言ってるわけじゃないよ。
経営学はリアルタイムの題材を用意しないと、勉強が始まらないといいたいのだ。
経営学の教師はオレじゃない、キミだ
繰り返すけれど、経営学に正解なんかない。
僕は世界の最新変化を紹介し、どこまで経営学がそれに立ち向かえるかの実験を見せるだけだ。
無様に跳ね飛ばされることのほうが圧倒的に多い、まだ勉強も能力も足りないからだが、一番足りないのは柔軟性とか多様性だろう。
君たちのほうが、新しい変化に対するフレキシビリティを持っている。
だから、おそらく経営学にかけては、キミのほうが先生だ。
どうだい、現代の火が出るような苛烈な現実を前に、試験なんてやってる場合かよ、自分の頭で、これまでの常識じゃない何かで、考えてこれに答えを出さないとならないんじゃないか。
試験なんてやらせるバカいるかよ。
試験勉強なんてやってるバカいるかよ。

これが偽らざる、僕の経営学教師としての、かっこよく言うと「矜持」なのさ。
調子に乗ってよけいなこと書きすぎたかな。
野呂 一郎
清和大学教授
・