映画「ポリスアカデミー」に見る「武道の心得」。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:きのうテレ東でみた「午後のロードショー」はかなり昔の映画(1984年作品)「ポリスアカデミー」をやってた。そこのワンシーンに感動した。なぜならばそこには「武道精神」があったからだ。
生と死のやり取りの中から会得するもの
なぜ、混迷の時代に武道が必要なのか。
それは、命のやり取りの中からしか学べない、知恵を獲得することができるからです。
例えば柔道はつかまれて投げられたら、もう終わりなんです。
スポーツのルールなら、背中から落として一本で勝ちですが、武道としての柔道なら頭からコンクリートに落としてジ・エンドです。
空手なら、一撃を避けられたらもう終わりです。次に来る突きがあなたの顔面を粉々に砕くからです。
武道の稽古とは、だから殺されないようにするにはどうするかを常に考える、命がけのプラクティスなのです。
警察と武道の共通点
さて、昨日見た「ポリスアカデミー」に、見事な武道を見たんです。
ポリスアカデミーとは、いわゆる警察学校ですよね。
そこでの訓練や生活や上下関係を面白おかしく、ストーリーにしたものですが、最後の方で訓練生と先生たちが、リアルな暴動に巻き込まれるシーンがあるんですよ。
100人以上はいると思われる暴徒に、校長先生と警察官を目指す訓練生が乗ったパトカーが囲まれ、パトカーをグラグラ揺らされます。
絶体絶命、パトカーをでたら袋叩き、出なくても車ごとひっくり返されいずれにしても命はないでしょう。
その時、校長先生が外に聞こえるマイクを取り、こう言ったのです。
「暴徒諸君、これから5秒やる。5秒以内に、すぐさまパトカーから離れろ。さもないと全員逮捕する!」
カウントダウンが始まりました。
「ファイブ、フォー、スリー、ツー・・・」
しかし、荒れ狂う人々は離れるどころか、ますますヒートアップ、パトカーは横転しそうになります。
その時でした、「バンバンバーン」とけたたましいライフルの音が鳴り響いたのです。
暴徒たちは一斉に逃げ出しました。
銃声の正体は、パトカーに乗っていたひとりの訓練生の「ライフル銃の口まね」だったのです。
武道の3つの心得
僕はこの訓練生の「銃の口まね」は、なかなかできることじゃないな、と感心したのです。
そして、「あの機転は、まさに武道だな」と思ったのです。
武道の心得とは、まず「君子危うきに近寄らず」です。
まずそもそも危険な場所、危険な人物に近寄らないことです。
しかし、警察官ですから、そんなことは言っていられません、いや、危険なところに行って危険な奴と対峙するのが仕事なわけです。
武道の心得の2番目は、準備することです。
どんな危険が待ち受けているかをシュミレーションして、相手の人数、武装の程度、戦いのスキル、凶暴さを頭に入れ、どんな武器を携え、何人で迎え撃ちどんな戦いをすればいいのかを頭にいれるのです。
しかし、今回のポリスアカデミーの面々が直面したのは、緊急招集で相手が誰で、何人でどうして暴れているかについての情報もまったくありません。
拳銃も警棒もなく、いわば丸腰で現場に駆けつけることを、余儀なくされたのです。
3番目の心得は、思いもよらぬシチュエーションに追い込まれたときの脱出法を思いつけ、ということです。
つまり、アドリブをきかせろ、ということですが、皆さんは「脱出法を思いつけ、というのは、心得でもなんでもなく、そんなことを心得たところで、現実に危機脱出の妙案なんか出るわけねえだろ!」と僕の見当違いをなじるでしょうね。
いや、これを武道の心得、というのは、「常に突破口がないか、考えてろ!」ということなのです。
日頃、いろいろな危機のシュミレーションをすることで、まさかの危機においても、究極のアイディアを思いつくことができるのです。
常にハイジャックに備えている伝説の空手家
これは、昔の空手雑誌で読んだのですが、空手界史上最強の呼び声が高い、矢原美紀夫(やはら・みきお)先生は、飛行機に乗るときは常にハイジャックに備えているそうなんです。
そのために、常に席はアイルシート(aistle seat通路側)をとる、というのです。
それは犯人たちと戦うために、動きやすくより優位なポジションをとるということですね。
矢原先生のことですから、事件に遭遇する前からハイジャック機の気配を感じ、賊の人数や意図、行動計画などを瞬時に読み、適切な対応をするはずです。
相手が拳銃を持っているのか、ナイフか、人質を取られた場合の対処、パイロットやCAとの目配せのやり方など、ありとあらゆる可能性を、アイルシートに座りながら考えている、はずです。
この武道家が、ポリスアカデミーのパトカーに乗っていたら、どうなったでしょうか。
僕は、矢原先生なら、パトカーを急発進させて、即、急ブレーキをかけて自分だけ外に出て、ボンネットに飛び乗って、彼の得意型の「雲手(ウンスー。空中を高く飛ぶ型)」の応用で、群衆の頭を飛び越え、空き地に着地し、戦いの準備を整えてから、一対一に持ち込み、100人を倒すだろう、そう想像しますね。
矢原先生ほどではなくても、武道をやっていると、どうしても危機を想定し、勝手にシュミレーションしてしまう癖がつくようです。
僕は未熟者なので、矢原先生の真似はできませんが、日頃、それにふさわしい危機管理マインドをめぐらしてますよ。
例えば、電車で誰かが襲われているときは、もちろん助けに入りますが、相手を傷つけないように心がけます。
しかし、自分が絡まれたりしたときは、ごめんなさいといってやり過ごすかもしれません。
なぜならば、技が未熟なので、やりあうと過剰に痛めつけるリスクがあるからです。
過剰防衛は、こちらの社会生活上のリスクが大きすぎます。
そうでなくても、応戦することは、こちらが相手を傷つけなくても留置場にぶち込まれたり、長時間の聴取を受けたりするリスクがありますし、報復のリスクが家族に向けられるかもしれません。
一戦交えない、という判断は武道的には賢明といえるでしょう。
ともあれ、武道をやっておくと、いざというときの突破力はつくし、先を読むスキルも磨かれるのではないでしょうか。
そして、警察官もまさに武道家と同じ訓練をしており、いやそれ以上にすごいと思うのは、使命感があること、ですよね。
社会の安寧を保つ、こうした使命感に支えられたプロ意識があったからこそ、「ポリスアカデミー」のあの名シーンが生まれたのではないでしょうか。
野呂 一郎
清和大学教授