国際ビジネスマンのロールモデルとしての中野学校
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:バランスよく学ぶことによってキミだけの世界観を持てば、何でも強いという話。「共著”は読まないほうがいい」というあえての暴論を解説する。トップ画はhttps://qr1.jp/InbGNa
スパイとは超国際ビジネスマンのこと
きのう、スパイになるには世界観を持てといった。
世界観を持つには、経験と勉強が必要だ。
語学とりわけ英語、数字とデータを扱えるようになる統計学、戦争とは何かを考える戦争学、爆弾の扱い方、毒殺の方程式、そして国際情勢。
ざっとそんな勉強をして、海外に派遣され実戦経験を積めば、スパイになれる。
陸軍中野学校の関連動画や資料を見ると、スパイは一個師団9千人を率いる存在だったという。
つまり、ひとりで1万人弱の働きをするということだ。
スパイは、かなり大きな地域をひとりで担当していたのだ。
分業ではないことがポイントだ。
つまり一つの地区をチームで担当していたのではないのだ。
なぜかというと、チームでスパイ活動をやることはリスクが大きいからだ。
スパイを分業制、つまりAは調査を、Bは問題のありかを探り、Cは戦略策定をし、Dは実行部隊、などとなったら、だれか一人が敵に捕らえられたらスパイ活動はそこで崩壊、ジ・エンド、だ。
しかし一人ならば、つかまりにくいし、作戦の全体図が頭に入っているので、ミッションを成功させる確実性はより高いのだ。
それよりなにより、スパイはひとりで全体を把握し、自己の価値観、哲学を持って、任務を遂行する存在なのだ。
共著は買うな
このことを本に例えると、複数で行うスパイ活動は、”共著”で、一人のスパイがプロジェクトを遂行するのは”単著”である。
複数の著者が書いた本、つまり「共著は買うな」、と言いたいのだ。
なぜならば、共著は全体を部分に分けて、それをひとりの著者に分担させている、つまり分業制だからだ。
個人個人の著者は、分担の分野を執筆しているだけで、全体のコーディネートはやらない。
共著は調整役がいる建前だが、これが務まってなく、各章は理解できるが、全体として何が書いてあるかわからない、そんなことが非常に多く見られる。
スパイも分業制をとったら最後、そうなる。
あくまでスパイのプロジェクトは、一人がすべてを見て、理解し、実行すべきなのだ。
それはとりもなおさず、自分流のスパイ・プロジェクトに対する考えと理解がなくてはならない、ということだ。
その上で、敵地をどう陥れるかの全体像をつかみ、実行となる。
その根幹となるのが、そのスパイの世界観なのだ。
世界観は、スパイとは何ぞや、というテーマを抜きにしては成り立たない。
例えば、スパイとは国家のための必要悪と考える者がいたとしよう。
彼はミッション遂行のため、卑怯で残酷な手段をとることをいとわないだろう。
また、スパイとは正義にかなうことだと信じる者がいれば、彼は自分が正義だと思わない行為はせず、彼のスパイ活動は、彼の美学の実現となるであろう。
各々のスパイ哲学を持って、プロジェクトのすべての各論を理解して、責任をもって実行するからこそ、うまくいくのだ。
中野学校の世界観とは
もちろんスパイ養成学校は、スパイの世界観、哲学はかくあるべし、を持っており、それを教育の前提に置いていた。
それは何か。
「誠」である。
人に接するにあたり、それが敵国人であろうとも、誠心誠意これにあたる、ということだ。
そうすることにより、スパイの本分である「国の利益になる情報収集」が可能になると考えた、のだ。
しかし、あえて、僕はこれに疑問符を投げかけたい。
人は、なにをやるにしても、それに心から賛同しないといい仕事はできない。
スパイ活動が正しいもの、という信念がなければ、よいスパイ活動はできないのだ。
それをうやむやにして、諜報活動を成功させるために「誠」を貫け、というのは、矛盾しており、単なる洗脳にすぎない。
スパイになるくらい明晰な頭脳をもったエリートたちが、飲み込むには、「誠」とは、一見耳障りがいいが、いささか無理筋ではないだろうか。
陸軍中野学校のスパイたちはインド独立に「誠」をもって、挺身したと伝えられる。
優秀なスパイは、大本営幹部などより、よっぽど賢い構想を持っていたはずだが、結局は陸軍中枢の意思に従っただけだった。
スパイを「目的達成のために、最高に合理的で戦略的な行動ができるもの」、と定義しなおすと、理想のスパイが見えてくる気がする。
野呂 一郎
清和大学 教授