プロレス&マーケティング第64戦 デビュー50周年、大仁田厚に学ぶマーケティングとは何か。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:大仁田厚が成功したのは、シンプルな法則にあった。それは「情熱」ということ。
大仁田厚50周年
今月14日、あの「涙のカリスマ」「邪道」大仁田厚がデビュー50周年を迎えた。
これを記念して(笑)、本稿では大仁田厚のマーケティングを考察してみたい。
筆者はまだたまに授業でプロレスを引き合いに出しているが、大仁田厚のマーケティングは、ジャンルを超えて示唆深いものがある。
それは、以下にまとめられるだろう。
マーケティングとは情熱なり
マーケティングとは差別化だとか、競争優位だとか、リソースの量だとか、ファイブフォースだとか、さまざまな論があるが、やはりこれにとどめを刺すのではないだろうか。
熱、である。
それもさわればやけどするような、異常な高熱である。
最近のマスコミ報道で、入ったばかりの新入社員が配属された部署の先輩社員たちにあまりに熱が感じられなかったために、辞めたというのがあった。
熱は伝播する。
社員の熱がないのは、経営者の熱がないからだ。
そんなカイシャは若者に見限られても、あたりまえだろう。
組織というものは、熱が熱を呼んで、成長、発展するのではないだろうか。
熱とは夢であり、情熱であり、希望のことだ。
どんな大企業であっても、熱がない企業に明日はあるだろうか?
奇跡を起こしたFMW
大仁田厚は、かつてジャイアント馬場が起こした全日本プロレスで、NWAジュニアヘビー級王者にまで上り詰めたが、1983年、左膝蓋骨粉砕骨折という大怪我に見舞われ、1985年に引退する。
しかし、プロレスへの情熱は止みがたく、1989年にFMW(フロンティア・マーシャル・アーツ・レスリング)という団体を旗揚げする。
所持金は5万円で、格安物件に椅子とテーブル、そしてかろうじて電話を引いたオフィスで、団体は産声をあげた。
カネもない、選手もいない、エースは大仁田だが、すでにしてポンコツ、膝の怪我が治っておらず、歩行すらままならないのだから、レスリングなどできない。
しかし、一度引退した大仁田は、「自分にはプロレスしかない」との結論に達し、死物狂いでまたプロレスにしがみついたのだ。
引退して、自分がどれだけプロレスが好きか、わかった。
この道しか、自分を活かすことはできないと悟った。
大仁田は燃えさかった、しかし、誰がすでにロートルの、動けないレスラーを見るためにカネを払うだろうか。
そんな自分が客を集めるためには、体を張るしかない。
そこで思いついたのは、これまでなかった過激な路線だった。
電流爆破デスマッチ。
初期のころは、電流は流れてなかった。
まずは、リングの四方のロープに「有刺鉄線」を張り巡らせ、レスラーが接触すると皮膚が切れ、肉が裂けるデスマッチを敢行した。
客は熱狂し、熱狂はエスカレートし、それが有刺鉄線に電流を流し爆破するという「電流爆破デスマッチ」という、前代未聞の過激な試合方式にたどり着く。
プロレスを続けたい、という熱い思いが、もたらした奇想天外な方向性、それが大仁田の代名詞「電流爆破デスマッチ」だった。
AIか、それとも熱か
過激だから、怖いもの見たさで客が集まったのか。
いや、そうではない。
プロレスが本当に好きだ、という大仁田の思いがファンに伝わったのである。
熱は周りを動かすのだ。
プロレスが好きという気持ちが、はからずも過激な試合方式に結実した。
電流爆破デスマッチとは、大仁田の熱い思いの結晶に過ぎず、客は熱に惹かれて会場にやってきたに過ぎない。
レスラーたちも、大仁田の「プロレスが好きじゃあ」という熱にほだされて、死物狂いのファイトを繰り広げた。
今、世界はますますAI化しようとしている。
マーケティングも、AIで答えを出そうと必死だ。
データ至上主義で、どんなアイディアでも、数字の裏付けがなければ、うけいれてもらえない。
熱の出る幕はないじゃないか。
そんな時代だから、レスラーとして半世紀を生き抜いた大仁田厚から、学ぶことがあるのではないだろうか。
野呂 一郎
清和大学教授
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