「面白くなければ経営学じゃない」、という邪道の言い訳。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:大学における経営学の授業はどうあるべきか。それは「ひたすら面白いこと」だと思う。でも、学生が面白いと思わなければ、それはただの自己満足。そもそも「面白いことを目指す」こと自体が間違っているとも言える。この禅問答に勝手に悩み、でも答えを見つけようとしてみたよ。
大学の授業もマーケティングだ
きのう、選挙はマーケティングだ、と申し上げましたが、僕の仕事である大学の授業も、考えてみればマーケティングですね。
ただ、ターゲット、つまり受講してくれる学生は、毎回変わります。
出たり出なかったりする学生もいますし、前期、後期で履修者も変わりますし、毎年顔ぶれが変わります。
履修者は結果的に確定しますから、彼ら彼女らがターゲットと言っていいのですが、学生の気分は毎回同じではないので、マーケティングで大事なターゲットの特性は、つかまえにくいといえます。
ですから、教師としては履修者の大雑把な特徴を掴み、その日の気分を考えて、製品(サービス)である授業を提供しなければなりません。
なぜ、プロレスの授業なのか
大学で講義を始めて25年以上になりますが、最初はマーケティングなんて考えていませんでした。
「えっ、大学で経営学総論とか、どうやって教えたらいいんだろ」、そんな迷いの中にいたのです。
あてがわれた教科書の説明をし、黒板にポイントを写すような、フツーの授業をやっていたのですが、ある時から、「恐怖」を感じ始めたのです。
それは「ほとんどの学生が聞いてくれない」という現実に対する、恐怖です。
この恐怖は自分の存在意義に対しての疑問を呈されたことであり、「なんであれ、このオレの授業が面白くないはずないだろ」の根拠のない自信が崩れかけていました。
マーケティング的に考えれば、ターゲットの特性を把握しておらず、お客さんである学生に届ける製品である授業が、彼らの求めるものではなかったからにほかなりません。
そこで学生たちの求めるものは、「面白いもの、わかりやすいもの、楽しいもの、旬のもの」だと仮定し、教科書をなぞるような授業は一切やめて、独自のテキストを作り、映像中心のコンテンツにかじを切ったのです。
経営学の歴史を教えるはずが、題材としたのはは”プロレス”をメインにスポーツ、アニメ、芸能、時事問題と、学生が振り向いてくれそうなものをすべて総動員しました。
特に留意したのは、旬のネタ、です。
リアルタイムな題材こそ、経営学の真骨頂である「変化」の最強のネタであり、学生たちも食いつきがいいからです。
サッカーの「ドーハの悲劇」の翌日は、前日しっかりゲームを録画したものを編集し、急いで解説テキストを作ったので徹夜したこともあります。
安室奈美恵の離婚報道も、翌日に授業にまとめました。
エンタテイメントはあざとく、学生の顔色を見ながら、テーマをピックアップしました。
アメリカのコーラ戦争、ペプシvsコカコーラの巻では、学生に目隠しテストでどっちがうまいかを体験させたこともあります。
タイガーマスクのコスプレをしたときは、学生諸君が一生懸命カメラで撮ってましたっけ。
歴史をガチに教えたって面白くないから、プロレスを中心にエンタテイメントな題材を使って、それをメタファー(異なるものを関連付けること)として経営学の歴史に重ね合わせたのです。
自作のテキストもわかりやすい言葉で、教科書の記述をすべて書き直しました。
結局は自己満足だった
いや、僕は学生にある意味こびて、表面上ではあっても面白おかしい授業が正解だ、などと言うつもりは毛頭ありません。
こうした正道ではないやり方は今から考えると、「あの恐怖」に負けただけだったのです。
学生に聞いてもらえない、そのことのショックが僕に邪道を選択させたのです。
プロレスを中心にした授業は反響を呼び、新聞社が取材に来たり、「プロレスの経済学」という書籍がそこから生まれたりもしました。
しかし、邪道はどこまで行っても邪道であり、学生の経営学教育に役に立ったかは、疑問です。
大学の経営学の授業はどうあるべきか
でも、みなさん、学生が聞いてくれないというのは、PTSDを発症するくらいきつい体験ですよ。
ここの学生はこういうレベルなんだ、オレの高尚な講義にはついてこれないんだって、割り切れればいいですが、ウブで打たれ弱い僕には到底耐えられませんでした。
ただですね、今僕の中には「それでよかったんじゃない?」の都合の良い自己肯定の気持ちも湧いてきているんですよ。
それは、自分の中の経営学の定義が変わってきたからです。
25年前の僕の経営学の定義は、
「経営学とは、経営学の教科書に書かれていることがすべてである」
でした。
今の僕の経営学の定義は、
「経営学とは面白いことである」
に変わったんです。
経営学とは、面白い製品、サービス、こと、モノを創ることである、これが今の僕の信念です。
ですから、授業も常に今までなかった面白いやり方が必要ですし、教師も例のない面白い存在でなければなりません、見せ方もそうです。
こう申し上げると、「お前は生徒にこびを売ってるだけだ」と批判されると思いますが、経営学は先程申し上げた「メタファー」の使い方の適否で、その教育効果が生きる、と考えているのです。
プロレスに関して言えば、組織があり、戦略があり、動かすべき人がいることを考えると、他の組織や企業と全く変わらないわけです。
メタファーというより、まったく同じものであり、プロレスの例のほうが、他の業界のそれよりもわかりやすいことはありますよね、プロレスファン限定ですけれども。
プロレスを使ってしまったのは、当時まだプロレスブームでクラスのほとんどが、偶然にもプロレスファンというのがありました。
そういう意味では、学生に授業をコントロールされていたのです。
経営学教育はもっと面白くできる
僕は、一人だけ、変な方向に突っ走っちゃているんですよ。
面白い経営学っていう可能性を求める方向です。
いや、僕がそれを求めるのではなくて、探すのかもしれません。
経営学は無限に面白い分野なのに、まだそれが掘り尽くされてないんですよ。
日本の経営学をインターナショナルな土俵に、出すことについては、特にそうです。
国内の授業で言うと、今は、プロレスは人気がないから、使えません。
僕が今使っているのは、このあいだも「大学柔道部vs強盗」でご紹介したような、武道を使った経営学教育です。
日本の大学でもやれますが、海外の大学での講義用に、今コンテンツを組み立てているところです。
もうすでに、アメリカ、ヨーロッパ、中国の大学で試作版は、デモンストレーションしているのですが、これをしっかりした体系にして、世界に広めたいんですよ。
僕の心得のある空手、合気道、棒術の演武を見せて、学生を巻き込み、ワザと武道の理を身体で体験させ、武士道と経営学の融合を証明する、抽象的に申し上げるとこんな感じです。
来年の3月には、論文が英語と日本語で完成予定ですから、それをプロモーションツールとして、世界中の大学、企業、団体に乗り込みたい、そんな計画を立てています。
再び、経営学とはおもしろことと見つけたり
いや、もう、自分を肯定してしまおう、いっそのこと。
無視されるという恐怖に耐えかねて、プロレスの経済学という邪道をやってしまった。
でも、それでいいんだって。
そう、僕の中の悪魔が今、ささやいています。
考えてみれば、このnoteもそうかもしれません。
形式や権威、常識をぶっ壊したい、だから進次郎構文がイイ、なんて言っちゃってるんですね。
経営学もマーケティングだ、というタイトルからかなり脱線したわけで、まさに進次郎構文、失礼しました。
野呂 一郎
清和大学教授