バカこそ日本を救う

バカは禁句だけど
第一話を読んでくれたキミは言うかもしれない。
弱者って、頭の悪い人のこと?
バカのことなの?

正直、そうだ。(佐々木健介のモノマネで)

いや、これは誤解を招くな。もっと正確に言うと、弱者はまわりから頭の悪いやつ、と思われがちなことも多い、ということだ。

世の中で一番悪い言葉はバカ、という言葉だと思う。

空手バカ・大山倍達、プロレスバカ・剛竜馬、はいい。(ごめんね、つい昭和のプロレスファンの癖が出ちゃって。意味不明だよな)

バカという言葉の中には、ダメ人間という強いレッテル貼りの力がある。

言われた人は交通事故にでもあったように、立ちすくみ、ショックを受け、下手をすると一生立ち直れない。

バカは怠慢な言葉だ
正直、僕もそう言われていた。

でも今はなるべくそう思わないようにしている。

バカという言葉は、学校で勉強ができない、もっと具体的に言えばテストの点数が悪い人に向けられる無責任な蔑称である。

いま無責任と言ったが、まさにこの言葉はそのとおり、バカとは怠慢な表現と言ってもいい。

なぜ勉強ができないのか、わからないのか、単にやらないだけじゃないのか、きちんと調べて分析してバカ呼ばわりしているわけじゃないからだ。

勉強に興味がないからかもしれない、集中力がないからかもしれない、隣に可愛い子がいて勉強どころじゃないのかもしれない、考えるペースやその質が普通の人と違うだけなのかもしれない。

鼻が詰まっていたり、今で言う睡眠時無呼吸症候群だったのかもしれない。

この病気は僕も患っているが、酸素が脳に行かないから、日中眠くて勉強どころじゃない。

しかし、人はそんなことお構いなしに、勉強ができなければ、「あいつはバカだ」の一言だ。

バカこそ強者
一番いけないのは、本人が馬鹿と言われてそう思い込むことだ。

最近の若い君たちはやさしいから、面と向かっておまえはバカとは言わないかもしれない。

でも、代わりにテストという悪魔がいて、点数をつけ低い点だと、バカと決めつける。

かくして、本人はバカと思い込み、自信をなくす。これがいけない。

特に君たちの年代は敏感だ、純粋だ。

テストでの低い評価や、友達からの少し悪意のあるバカ呼ばわりを、真に受けて「俺、私バカなのかも」と思いこんでしまう。

しかし、僕はバカの彼ら彼女らが心から愛おしい。

少年時代の僕みたいだからだ。

今、昔の僕も含めて愛しいバカたちをほめたたえよう。

バカを真に受ける純粋さ、人と違う身体や心の構造、独特の感性、そして弱いからこそ自然に育つはずのやさしさ、ナチュラルに備わった非常識さ。明日のグローバル・リーダーの素質をみんな兼ね備えているじゃないか。

でも、バカと思い込んじゃうのも、これはね、後で述べる論理的な思考や発言の訓練を、日本の小中高でやってないことにも原因があるよ。

テストの点数はつけるな
テストはやめるべきだ、やめられないなら、点数をつけるな、と言いたい。

学力を試すのが試験の本意であるなら、間違っていたところだけチェックして、後で教えてもらえばいいじゃないか。

なんでそんなことをやるのか、成績をつけて、優劣をつけるのか。

それはもちろん教育的な目的もあるに違いないが、これははっきりいって国家の陰謀、そう言うと語弊があるならば、一つの大きな日本全体の壮大なトリック、いやさシステムなのだ。

グローバル時代に問われる官僚の資質
このシステムの頂点には東大がある。

東大は、真の優秀さの基準ではないが、ありきたりに言われることを理解してやる力は保証できる。

なにより、あの長期戦の10数年に渡る受験戦争を勝ち抜いてきたのだから、知的な忍耐力はある。

文章を読み、物事の構造を理解し、それを文章にするという能力は保証できる。

中には本当に優秀で社会に出てからもすぐれた業績を残す人も多いのは周知のとおりだ。

しかし、そうでない人も多い。

平均的に優秀なのが、東大というブランドなのだ。

そして日本という国家の抜き差し難い思想に、官僚は東大出身が間違いないというのがある。

しかし、これからの世界はまず多様性を認め、イレギュラーに柔軟に対応し、反対派を説得するディベート(討論)能力を必要とし、中でも前回言ったように、やさしさが必須だ。

まず、他人の痛みを分かる人でなくてはならない。

私は東大出はこの任務に不向きだと思う。

誤解をしないでほしいのだが、私は東大を批判しているわけではない。(してるって笑)

日本の教育システムの象徴である東大に合格するためには、こうした能力を育てる機会をもてない、そう言いたいのだ。

そしてこのシステムに従順に従ってきた人は、そんなことに興味も持たない、おっとこれは僕の東大生への偏見かもしれない。

官僚=東大=繁栄という保守主義
官僚は日本の政治経済社会のコントロール・タワーで、そこに間違いのない人物を集めるしくみが、日本の教育システムであり、これは関わる人に経済的な利益を与えるという意味で、ビジネス・システムと言ってもいい。

先生は点をつけて給料をもらえ、受験産業(塾、予備校、出版、家庭教師、大学など)はこれで潤う。

東大を頂点にした序列を作れば、国としてまあまあ優秀な人材を確保できる。

そのために作られたのが、試験の点数を中心にした教育制度である。

先生は点数つけるのに大変だか、生徒をテストの点でコントロールできる。

おとなしく授業を聞いて勉強しないと、テストいい点取れないぞ、という脅し文句をいつでも突きつけられるからだ。

でもさ、これが理不尽なことを見逃し、反対もしない日本人の悪い社会性を生んでいるんじゃないかな。日本人がいつまでたっても国際化しない理由でもある。僕もキミも知らない間にそれにやられているのかも。

父兄も点数しか気にならないから、点数で序列をつけることに文句は言わない。

これ以上言うと、炎上するかもしれないので(笑)今日はこれで終わりにするね。

明日はまだ言い足りないので、この続きをやるよ。

                              野呂一郎

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