フジテレビ問題は、対岸の火事ではない。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:企業文化を変えないと、企業の問題は解決できない。しかし、企業文化は組織に根付いた価値観なので、一朝一夕に改善されるものではない。フジテレビの問題は対岸の火事ではなく、他山の石として受け止めたいと思う。
僕の見たテレビ局
知り合いにテレビ局関係者が何人かおり、テレビ局界隈の話を見聞きすることが多くあります。
あくまで私見ですが、僕の知っているテレビ局の現実を踏まえ、テレビというビジネスを動かしている、テレビ局の企業文化について、考えてみたいとおもいます。
テレビ局の企業文化とは何か
1.テレビ局員と下請け業者の絶対的な上下関係
テレビ局が、下請けつまり番組作りを担当するプロダクションに仕事を発注する関係ですから、どうしてもここは苛烈になる傾向があります。
今回フジテレビの問題で、下請けのスタッフが汚れ仕事をやらされていないことを切に願っています。
2.人気タレントの王様化
タレントは人気が出ると、おごり高ぶり、傍若無人な振る舞いをし、テレビ局関係者はAD(アシスタント・ディレクター)と呼ばれる小間使い役を中心に、振り回されることになります。
中居氏に限りませんが、一部の人気タレントの振る舞いには目に余るものがあります。
3.視聴率絶対主義
番組プロデューサー、ディレクターは、視聴率しか考えてないと言って過言ではありませんし、この意識はテレビ局の文化として根付いていると言っていいでしょう。
もちろん、昨今はコンプライアンスの要請が厳しく、番組のコンテンツそのもののはもちろん作成プロセスに至るまで、法令違反、差別その他あらゆる不適切な要素を排除する努力が、以前にもまして行われています。
視聴率絶対主義は、スポンサーが神様、と言い換えてもいいでしょう。
スポンサー企業が、CMというかたちで広告料を出してくれるおかげで、テレビ局は命脈をつなげることができることを考えると、これは頷けます。
4.過重労働という働き方
5年前、某広告代理店でこの問題が明らかになりましたが、テレビ局は、もっと危ないのではないでしょうか。
まだ働き方改革など、もっとも程遠い組織では、と疑っています。
テレビ局員は、残業などつけてないはずです。
残業それも、一日5,6時間はざら、だからです。
徹夜も辞さずの文化なのは、制作という締切のある仕事に日夜追われているからです。
ある種の芸術を創っていることもあり、そこに関与する関係者は、喧々諤々の議論をしますし、スポンサーが色々口を挟んできますし、気まぐれな演者があれしろ、これしろとわがままを言います。
結果的に、いくら時間があっても足りず、それでも締切に間に合わせなくてはならず、毎日が戦場と言っていい労働環境なのです。
結局そうしたツケは、下請けプロダクションに回ってくるのですが、テレビ局社員もこのプロセスを共有し、忙殺されます。
5番目は、いや、これは、テレビ局の文化だと決めつけることは、性急ですが、疑いがある、とだけ申し上げておきましょう。
これは、アメリカで5年前に明らかになりましたが、Me, too文化です。
映画やテレビの制作権を握るごく一部のプロデューサーが、出演をエサに俳優たちによからぬセクハラ取引を持ちかける慣習です。
中居氏の問題は、こうしたテレビ局の文化が、多かれ少なかれ関与していた可能性がある、と見ています。
カイゼンを阻む企業文化
経営学的に、一番問題だと思うのは、こうした企業文化の中では、「カイゼン」がおろそかになることです。
企業の目的は視聴率を0.1%でも上げることですから、そのためには何でもやる、ということになりかねません。
視聴率絶対主義の中では、働き方などはどうでもよく、下請けの意見などは本局との力関係で一顧だにされず、視聴率が取れるタレントをもてはやし、調子に乗る芸能人たちは、わがままを言って番組制作の足を引っ張ります。
なにせ局員は忙しいから、番組作りはそもそもどうあるべきか、ここをこうしたら番組作りが良くなる、など考えません。
考える暇もあたえられない、のです。
スポンサーも、本来はテレビ局の仕事のあり方に責任を持つべきですが、視聴率さえよければ、いいわけで実はテレビ局と同じ穴の狢、なのです。
数字だけ、結果だけ、働き方や従業員の幸福は後回し、こうした企業文化を放置しておけば、大きな問題が出てくるに決まっています。
いま、フジテレビはこの問題で、CMをAC差し替えにする動きが急です。
今後は、スポンサー企業も、テレビ局のガバナンス問題(組織の問題の未然防止体制)に口を挟んでくるようになるでしょう。
雨降って地固まるになるといいのですが。
野呂 一郎
清和大学教授