大学で嫌いな科目をとると、不思議に彼女ができる話。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:大学にはいったら、なぜ嫌いな科目こそ積極的に取るべきなのか。嫌いな科目を取ると不思議に彼女(彼氏)ができる理由。
僕が勤める大学も、4月から対面授業を全面的に解禁した。
なぜ、大学で学ぶのか、そんなことを、去年まで高校生だった皆さんに話した。
ちょっとここで再演してみましょう。
大学をやめたくなる時
この時期、「大学って何を学ぶところですか」「大学行く価値あるの」、そういう本質的な質問を受けることがある。
僕の答えはこうだ。
「興味がない、嫌いな勉強をムリヤリさせられるところが大学で、そのことに一番大きな意味がある」。
もちろん、専門知識を身につけたくて大学に入ったキミは問題ない。
例えば弁護士になりたいから法学部、医者になりたいから医学部、教師になりたいから教育学部という具合だ。
でも、なんとなく大学に入ったキミもいる。
専門を選んで入ったキミも、興味のない科目も「必修科目」として履修しなくてはならない。
一般教養なんて興味ないけれど、10単位とらなくてはならない。
そんな、こんなでとりたくない科目をとらなくてはならないことは、結構ある。
興味があって受講した科目が面白くて、苦痛だ、やめたい。
これが一番多いかもしれない。
だから、総じて大学とは「やりたくない勉強をやらされる」ところなのだ。
やりたくない勉強をすることの意味
でもそれがいいのだ。
なぜならば、強制される知的偶然がキミの可能性を広げる、からだ。
興味のある、スキなものだけを勉強する。
それでは、自分の可能性が広がらない。
面白い授業だけしか出ない。
それでは、自分を狭めるだけだ。
キミが普通の人であれば、こんなことは言わないが、キミはリーダーなのだ。
結局リーダーは、知性が勝負なんだよ。
だから知的スタミナを付けておかなきゃならない。
知的スタミナとは、まったく知らないことでも、興味のないことでも、今までの知識、経験を総動員して、その体系を短時間で把握して、それを応用する力のことだ。
そのためには、強制的にでも興味のないジャンルに取り組むことは、いい訓練になる。
最近は文理融合の流れで、文化系でもエンジニア系の科目を履修することがある。いいチャンスと言うべきだろう。
リーダーのキミは、苦手な知的ジャンルを作ってはいけない。
一般教養で知的枠組みを広げろ
苦い思い出がある。
かく言う僕が、興味のない科目、嫌いな授業を避けていたのだ。
弁護士になるために法学部に入ったから、司法試験の勉強に関係ない一般教養などいらない、そういう姿勢だった。
それが間違いだったと気づいたのは、後に自分の人生が膠着状態になってからだ。
作家になるために文学部に入ったのに、興味のない経済が必修なら大学やめる。
わかるよ。
でもいま作家は純文学だけでは食っていけない。
経済でも、法律でも、科学でも何でもこなせなければ、生活の糧を得ることはできない。
大学とは、無理矢理にでも新しい知的体験に接するところなのだ。
つまらない授業は、知的な反面教師だ。
ボイコットするのはカンタンだが、そこから学ぶことだ。
「こういう教え方をしてはダメなんだな」という学びがあるよ。
嫌いな科目をとると、なぜ運がむいてくるのか
二十歳をすぎると、強制でもされない限り、興味のないことに手を出すことなんてない。
大学は、しかし、キミにその無理強いをする。
その結果キミが得るものは、知性の拡大だけではない。
友人だとか、恋人だとか、いい先生だとかの、人生を変える出会いが必ずあるのだ。
好きな科目をとっても、隣にキミの未来の伴侶が座っていたりしない。
しかし、嫌いな科目を取ると、気の合う一生の友人や、隣の席に運命の彼氏や彼女が座っていたり、一生の恩師などとの出会いがある。
不思議とある。
それは、キミが自分を変えようと、一歩、キミの生息地帯からはみ出して、異次元に迷い込んだからだ。
嫌いな科目こそキミの隠れた可能性
でもその異次元こそ、キミのラッキースポットなんだ。
好きな科目というのは、単なるキミの延長上にすぎない。
嫌いな科目こそ、キミから遊離した別世界なのだ。
そこでどんないいことが悪いことが待っているかわからない。
しかし、一生を変える素敵な出会いが待っている確率はとうとう高い。
なぜだろう。
それは、嫌いな科目にチャレンジするというその行為自体が、
キミを自分の枠からワープさせる、いわば変身させる行為だからだ。
こうした機会は、会社に入ってからは、ほぼない。
もちろん、会社はキミに強制的に、嫌いな仕事を押し付けたりする。
でもそれは仕事だから、シャレにならない。
苦しいだけだ。
お勉強を強制させられる分には、頑張ればなんとかなる。
それも、せいぜい1年だ。
適度な自由が許される”強制”は、不思議といいことがあるのだよ。
僕を信じてほしい(笑)。
とにかく、明日の日本を背負うキミは、二十歳そこそこで、知的な選り好みをしてはならない。
今日も最後まで読んでくれて、ありがとう。
じゃあ、また明日会おう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー
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