よい板前の条件。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:よい板前の条件。美味しい店とは何か。料理の美味しさとはなにか。ホスピタリティ(おもてなしのこころ)は絶対に味の一部。
よい板前の条件
それは笑顔ときれい好きなことだと断言します。
この前東京駅にあるある飲み屋に入ったんですよ。
定食を注文したんです。
その時、カウンターの奥にいる板前と目が合ったんですよ、その瞬間、
「あ、この店はまずいな」、と思ったんです。
なぜならば板前に笑顔がなかったからなんです。
皆さんは
違うんだなあ。
板前はね、確かにお客に顔を出さないこともあるけれど、まずはお客様に感謝の気持ちを持たないとダメなんだ。
そしておもてなしの心だよ。
もちろんその気持は料理に込める。
だからうまいものができる。
でもね、おもてなしの心は、お客様を気分良くさせることにも向けられないとならない。
なぜならば、こころは味の重要な一部であり、もてなしのこころは必ず言葉や表情に出るからだ。
だから、お客に笑顔を見せない板前はダメなんだ。
もてなしの心は表に出る
例えばキミが友達の家に行って、友達のお母さんは出てこないけれども、一生懸命キミのために料理を作っている、ケーキを焼いている。
あ、お母さん台所から出てきた。
その時お母さんが、キミに、にっこり笑って「あら、いらっしゃい!」って言ったら、ケーキの味も料理の味も格別だと思うよ。
もうそれを味あう前に、おいしい。
それは、そのお母さんの笑顔っていうのが君を心から歓迎してくれるしるしだからだよね。
清潔さはもてなしの心そのものだ
東京駅の、その飲み屋の、顔を見せた板前は、逆だった。
仏頂面だった。
「定食なんて安いもの頼みやがって、おとといきやがれ」ってメッセージを僕は感じたんだよ。
まずいと思ったのには、もう一つ理由がある。
それは通されたカウンターの奥にホコリがたまってたからだよ。
ぼくは、ああ、笑顔のない、ホスピタリティのない板前がいる店だからこうなんだな、と思ったんだよ。
いいかい、おいしい店って板前が笑顔で、清潔な店のことなんだよ。
え?まだわからない?
じゃあ、回らないお寿司屋に行って、カウンターに座って、キミの目の前で握る板前が仏頂面で、笑顔もなかったらどうだろう。
お寿司はおいしいだろうか。
どんな高いネタだって、まずいよ。
で、キミはまだ聞くのか、「東京駅のその店、おいしかった?」って。
まずかったよ。やっぱり。
料理のおいしさって、素材の良さとか調理の腕、だけじゃないんだよ。
おもてなしの心というか、ホスピタリティと言うか、作り手の「美味しく召し上がってほしい」というこころがかんじられないと、料理って美味しくないんだよ。
タッチパネルが平気な板前って・・
ずいぶんタッチパネルの悪口を言ってきた。
回転寿司は許すといった。
でもね、立ち食い寿司はダメだ。
ぼくは、目の前でタッチパネルの操作に必死で、でもそれをボヤーっとして
平気で見ている板前を見て、愕然としたことがある。最近の話だ。
お客はタッチパネルと奮闘して、板前たちは暇そうに、しゃべってる。
まともな板前って、こんな状況は我慢ならないんじゃないか。
「マグロ握って!」「へいっ!」でいいじゃないか。
寿司を食うっていうのは、そもそも、この板前と客のリズムなんだ。
一貫食うごとに、またタッチパネルに行って、寿司を食った指でそのまま画面をタッチさせる、30秒くらいかかるこの不衛生な所作を客に強制し、寿司を美味しく味わうリズムをぶっこわして、それを目の前でぼうっと見ている板前。
こんなの板前じゃないよ。
お客にうまい鮨を食わせたい、これだけが寿司職人の心意気なんだよ。
注文のリズムも寿司のうまさだ。
いい板前は、「つぎはカツオいかがですか」などと、お客の腹や好みや注文のパターンを見分ける。
酒と合わせたり、白身と貝を組み合わせたり、時に客にネタ話などして、お腹をすかせたりすることだってできる。
これはさ、寿司の板前に限ったことじゃない。
タッチパネルがおいてある店で働いている板前は、それだけでもうダメだ。
料理人の資質がないってこと。
お客にうまいものを食わせることより、自分たちのくっだらない効率をお客に求める。
こんな精神は板前とはいえない。
あらら。
止まんなくなる前にやめないと。
じゃあ、また明日ね。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー