マーケティング法則に反していた天心vs武尊
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:天心vs武尊はやはり絶対やってはいけなかった禁断のマッチだった理由。マーケティングの本質とは何か。
マーケティングの法則
人々はよい製品さえ作れば、便利で、品質が良くて、デザインも素晴らしい、そんな製品を創ることこそ、マーケティングだと思っています。
違うのです。
いくらいい最高の製品を作っても、それはマーケティングの成功ではないのです。
では、マーケティングの成功とは何か。
それは、消費者のマインドの中に、最高の製品というイメージを植え付けることなのです。
実際にそれが最高の製品であることと、消費者の心のなかでその製品が最高であることは違います。
マーケティングとは、だから、イマジネーションを創ることなのです。
イマジネーションは、製品を形容する言葉、たとえ、絵や写真、評判などで作られます。中でも、人々の”想像”は大きい要素です。
さて、ここまで読んだ読者の皆さんは、僕がこれから述べる天心vs武尊で何が言いたいか、すでにおわかりでしょう。
そう、あの試合はやはり、やってはいけなかったのです。
ファンの想像という経済的価値
武尊という商品には、”立ち技最強”というファンの妄想が創った経済的価値がついていました。
それは守らなければなりませんでした。
いいんです、マーケティング的に言えば、想像で。想像上の強さだけで。
想像つまりイメージ、それはファンの心の中にそうしたポジティブな像が描かれているわけです。
それだけで成功なんですよ。
実際に、天心と戦って、それを証明する必要なんてないんです。
リアルに強いことを証明しなくていいんです。
逆に、負けたらどうなるか。
想像でファンのマインドの中に作られた最強の虚像が崩れ落ちて、マーケティング的な価値はゼロになります。
強い者同士は戦うな
武尊は、今語ります。
「負けてすべてを失った」と。
これは大人が敷いた(強いた)ロードに乗ってしまったからです。
武尊は、大人が近視眼的な利益を優先したゆえの、犠牲者だったのです。
おとなたちは、天心と武尊という商品を”強さ”という唯一のファクターで、価値づけしようとしたのです。
実際に戦わせて、商品の優劣をつけようとしたのです。
もう戦わせたら、優劣がついてしまい、負けたものの価値はなくなります。
しかし、「どっちが勝つのか」という興行的な価値が生まれ、それが50億だったわけです。
しかし、武尊の価値はなくなり、彼が所属するK-1の価値も棄損されました。
もちろん、これをきっかけに、K-1対キックボクシングの全面戦争みたいな流れがでてきて、格闘技界が盛り上がるかもしれません。
また実際に、武尊はこの決闘を譲歩を重ね、不利な条件を飲んでまで実現させたことで、彼の人間としての価値が上がったという側面もあります。
武尊のリベンジストーリーが立ち上がれば、それはまた別の経済価値を生むでしょう。
しかし、なかなかそういった劇画的な展開にはならないのです。
武尊の被ったマイナスを含めて、K-1側の長期的なマイナスは、50億じゃきかないのではないでしょうか。
今日僕がいいたかったのは、「強いもの同士は戦うな」ということです。
80年代コカコーラvsペプシは失敗
80年代、アメリカ企業の強者同士が、天心vs武尊と同じバカなことをやったんですよ。
ペプシチャレンジです。
目隠しテストでどっちがおいしいか、世間に判断させるという、あざとい挑発をペプシが仕掛けたことがあったんです。
まさに最強を決めようという、ペプシのコカコーラへの挑戦でした。
結果はペプシが圧勝したんですけれど、現在のコカコーラがコーラ業界で再び一強、我が世の春を謳歌しているところを見ると、長期的には意味がなかったんですよ。
戦うな、だませ。
ダメ。「最強決めよう」なんてのは。
消費者の、ファンの脳内だけで「強そう」「うまそう」「よさそう」を創り出せばいいんです。
実際は両者のフレーバーは違うから、どちらが好きか、っていうだけに過ぎず、絶対的なうまさなんていうものなんか、そもそもあるわけない。
最強を決めよう、どっちがうまいか決闘だ、なんてのはマーケティングをわかってない戯言にすぎません。
かつてマインドコントロールという言葉が、悪しき流行語になったことがありました。
マーケティングも、消費者のマインドをコントロールすることなんです。
誤解を恐れずに言えば、「だますこと」です。
しかし、そこには人の弱みにつけこむような、悪しき宗教的なトリックはありません。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
では、また明日お目にかかるのを楽しみにしています。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー