プロレス&マーケティング第35戦 格闘技に浮気して戻ってこないファンを奪い返せ!
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:昨日の湯河原研修プロレス実践編。プロレスファンの定義とは。プロレスの本当のファン人口は?プロレスファンは孤独?という意外な真実。トップ画はハラダ画伯の傑作のひとつ。https://note.com/cocoroharada1024/n/nfab8a8c27c36。
プロレスファンを定義する
きのう、不確実性の時代、数字に頼るバカいるかよ、(アントニオ猪木風で)ともうしあげました。
でも一部の読者から「わかったようなわからないような」というブーイングが出たので、きょうはすこし具体的にお話ししますね。
じゃあ、しょうがないからプロレスに例えましょう、って「プロレスしかないんか?まあね。」ということでお許しください。
では、この伝でいくと、プロレスファンはいったい、どういった人たちなのでしょう。
プロレスファンの定義をしようってわけです。
プロレスファンの定義にもいろいろありますが、ここではプロレスファン人口、そしてざっくりとした現状、にしぼりましょう。
まず、人口的なことを申し上げると、
プロレスファン=元プロレスファンー格闘技ファン
です。
それは昨日あげた、下の5つの根拠に照らすと
事実と観察によるものです
事実とは、2000年に入り、プロレスの暴露本でプロレスに対する誤解が広まってしまったこと、相次いで大物プロレスラーが格闘家と戦って惨敗したことなどにより、プロレスの人気が10年間にわたり低迷したこと、を指します。
観察とは僕自身、それを観戦やレスラーへの取材等、実際の現場で身体で感じてきたこと、です。
ようするにプロレスファンとは、もっとずっとたくさんいたのです。
でも、その多くが申し上げたような理由で、プロレスファンでいてくれたのに格闘技に宗旨替え、もしくは浮気をして帰って来ず、その分減っているのです。それも激減、です。
僕の個人的な推定では、プロレスファンを「月に一度以上テレビで見る程度好きな人」と定義すると、昔は3000万人、今は一つ桁が違う、300万人です。
彼ら、彼女らのざっくりとした特徴は、では、何でしょうか。
それは、社会的に孤立している、ということです。
いや、彼ら彼女らはそうは感じてないでしょう、おそらく。
でも昭和世代の僕らからすると、そうなのです。
でもあえて言います、彼ら彼女らは孤独です。
なぜならば、会場に来ればファンの仲間がいて、コミニュティの輪の中にいる充足感が得られますが、娑婆世界に戻るとロンリーなのです。
なぜならば、周りにプロレスファンなどいないからです。
「きのう後楽園ホールで、トップオブ・ザ・スーパジュニアの開幕戦見てきたよ、Mr.ワトがね・・」などと職場で話したところで、「なにそれ?」の反応が100%です。
もちろんあなたも、そんなことを言うと変人扱いされるに決まっているから、言いませんけどね。
下手すると「プロレスってなに?」という若い人からの、反応すら珍しくありません。
以上がプロレスファンの「人口&現状」を元にした、ざっくりとした定義です。
格闘技からプロレスファンを取り戻せ
さて、今日の本題は、格闘技に信仰を変えてしまった元プロレスファンを取り戻すことですね。
僕はね、プロレスファンを辞めて格闘技に行ってしまった方々を、取り戻すことこそ、プロレスを大復活させるカギだと見ているんですよ。
それはなぜか。
よく昔から言いますよね、「アンチ巨人こそ、誰にも負けない巨人ファンの要素を持っている」と。
これは本当のことです。
格闘技に行ってしまった元プロレスファンっていう存在は、言ってみればアンチ・プロレスなんです。
実は誰よりもプロレスを愛しているが故に、格闘技に流れていったんです、
おそらく例の暴露本の影響やら、プロレスラーの相次ぐ格闘家への敗戦で。
でも、格闘技ファンのフリをしていますが、実際はプロレス大好きなんです。
だから、彼ら彼女らを取り戻す戦略は、カンタンです。
「プロレスの魅力をもう一度、プレイバックさせる」ことです。
僕は、プロレスから格闘技に行ってしまった元プロレス信者の人々は、いま、戸惑いの中にいると思うんです。
こんなことをきっと思っていると思うんですよ。
ええ、もちろん、これも僕の数字に基づかない、事実と観察を元にした考察ですよ。
でもいいでしょ、何度も言ってるように「不確実性の時代」はこれでいいんです。
プロレスも怪奇経営学なのか?
それにしても不思議だなあ。
こんなこと書くつもりじゃなかったんですよ。
でも書いているうちに、ペンがいやキーが止まらなくなって・・・そう、「自動書記」状態に陥って・・・
これも「怪奇経営学」の一つで、「潜在意識はすべてを知っており、書くというアクションを起こすことで、それが自動書記のカタチで降りてくる」という現象なのです。(本当かよ!)
信じる、信じないはあなたの自由です、が、怪奇経営学の目的は「精神を解き放つ」ことにあります。
さあ、数字から離れてみましょう。
なんでもアリ、です。
自由に想像の羽を広げてみましょう。
そこに、不確実な時代の新しいマーケティングの可能性がはばたくのです。
って、じゃあ具体的にどうファンを戻すのよって話が、すっ飛んでますが、もう読者の皆さんはおつかれなので、この続きは明日いたしましょう。
それでは親愛なる読者の皆様、おやすみなさい。
また明日お目にかかりましょう。
野呂 一郎
清和大学教授