なぜ、格闘技雑誌が消えたのか
格闘技雑誌が消えた理由
かつてK-1、プライドが華やかなりし頃、格闘技雑誌はそれなりに売れていた。しかし、いま生き残っているのはゴン格(ゴンカク)の通り名で知られるゴング格闘技だけだ。そのゴン格も近年は休刊を繰り返して復活したという経緯がある。
勿論プロレスも人のことは言えない。週刊ゴング、週刊ファイトが消えてもう10年。生き残っているのは週プロ(週刊プロレス)だけだ。
もちろん、紙の媒体が苦戦しているのは格闘技、プロレスに限ったことではない。特にプロレス、格闘技のニュースはネットですぐに見られるから、速報性でかなわない雑誌の売れ行きが鈍るのも当然だ。また雑誌の廃刊、休刊はジャンルの盛衰には関係なく、出版社を取り巻く事情のほうが深く関係している場合も多い。
さて、見せるシステムという観点から、今日はプロレス雑誌の強みについて考えてみる。
格闘技雑誌がビジネスとして難しいのは、この間から言ってきたブランディングの難しさにある。
格闘技は勝ち負けが全てだから、負けてしまうとその選手のブランドの価値は落ちる。ダダ落ちといっていい。
しかし、プロレスは負けてもレスラーの価値は落ちない。
毎朝読3大紙がとりあげた”猪木失神事件”
最もよく出される例が、例の猪木舌出し失神事件だ。1983年6月2日、蔵前国技館で行われた第一回IWGP初代王者決定トーナメント決勝で、絶対本命とされたアントニオ猪木が、ハルク・ホーガンのアックスボンバーで失神フォール負けしたあの一件だ。
有力な説は、猪木がわざと舌を出して失神したという劇的な”絵”を創り、世間の目をプロレスに向けさせた、というものだ。
事の真偽はともかく、この負けほど価値のある負けはなかった。
負けても相手を引き立たせ、観客にインパクトを与えれば、プロレスにおいては価値ある”勝ち“となる。格闘技にはこの美学がないので、負ければビジネスの価値もなくなり、雑誌に載せる価値もなくなる。
朝倉未来リベンジYouTubeは成功するか
この間総合格闘技ライジンで、朝倉未来が柔術家に失神負けを喫したが、同じ失神負けでも猪木のようにはいかない。
最近は格闘技もプロレスの影響で、負けたマイナスを復活ストーリーに昇華すべくYouTubeでリベンジ特訓映像作成に余念がないが、負けてもレスラーのブランドに傷がつかないシステムは、プロレス雑誌ビジネスにとって大きな福音だ。
格闘技は勝敗があまりにも大きな要素なので、雑誌記事は試合展開、インタビュー、技術解説に終始する。試合の絵も、パンチ、キック、関節技くらいで、いきおい単調になる。時として、退屈な技術論が長々と続く。それに比べるとプロレスは雑誌に載せる魅力ある絵がたくさんある。
肉体、感情表現という金のなる木
そもそも、レスラーはその鍛えられた肉体を晒すだけで価値がある。
それに加え、プロレス技と攻防のバリエーションに比例して肉体表現、感情表現が無限にある。読者に訴える絵は無限にあると言っていい。
一度スターダムにのし上がったレスラーの価値はそうそう下がらない。アントニオ猪木を見よ、かれこれ50年以上プロレス雑誌が取り上げ続けている。
プロレスラーのコスチュームは、格闘技選手と比べ色彩、デザイン、インパクトなど比べ物にならない。それに加え、ガウン、マスクなどのバリエーションが加われば、雑誌に掲載する絵のバリエーションは無限と言っていい。
アングルが創る新たな角度の”絵”
プロレスは単に試合を組むだけではなく、必ずそこに試合のストーリーが巧みに、また巧まずして付与され、それが試合の物語価値を高め、それがさらに別のアングルを生む。雑誌が取り上げるべき絵がまた増えるのだ。
最近週プロの表紙を女子が飾ることが増えた。女子プロレスラーの絵を創る能力が俄然クローズアップされてきたのだ。
アイドルからレスラーを目指すケースが当たり前になり、ルックスに加えコスチュームの美的進化が止まらない。
プロレス雑誌の優位は、ゆるぎない。
見るシステムとしてのプロレスの未来は、女子が担いつつある。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
また明日ね。
野呂 一郎