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「勝負論」は「型」にあり。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:大道塾がいかに強くても、それは一対一の勝負にかぎってのこと。ナイフやピストルを持った複数の敵を制してこそ、本来の武道だ。その秘密は「型」にある。
勝負論は一対一にあらず
武智先生が展開されている「弱者戦略」、毎回これで語り尽くされたのだなとお腹いっぱいの感じですが、書けば書くほど泉のように湧いてくる彼のインスピレーションが、また新たな視点を提供しています。
この中で武智先生は、本来の武術は素手の一対一だけでなく、凶器を持った敵、複数の敵を想定すべきであると喝破されています。
中国武術や東南アジアのシラットなどは、攻撃してもよい急所が多いのみならず、様々な武具や複数の敵とも対峙できる技術体系ができあがっています。
つまり、「ナイフや拳銃、10人の暴漢に襲われた時に、その状況をコントロールするすべを持ってない格闘術は、そもそも勝負論などの土俵にのる資格すらない」、こうおっしゃっているのです。
その意味で多人数に囲まれた状況を想定しての訓練が組み込まれていない、格闘技は語るに足りない、とも言えるのです。
武智先生は、きのうのnoteで大道塾(空道)を取り上げ、その技術体系に鋭い論評を加えました。
しかし、あくまで空道は、一対一の局面で勝負をつけようという武道です。
ここの一点で、他の空手諸流派に負けています。
型(形)競技がないからです。
型こそ最強のシステム
「えっ、なに、もしかしておまえは型をやることが、複数の敵と戦う代替案だと考えてるのか?」とおっしゃるのですね。
そのとおりなんです。
多数のナイフを持った暴漢に囲まれた時、どう対応するかをリアルな試合として、観客に見せることは不可能です。
しかし、型のデモンストレーションは、これを垣間見ることができる様式なのです。
そもそも、申し上げたように、型は複数の敵から襲われたことを想定した、動きの集大成です。
そう言うと、「型は昔の攻防しか想定しておらず、そもそも、競技用に見せるために実戦を無視して、見た目のキレイさだけが強調されている。武術に名を借りたダンス競技にすぎない」と、空手をやり込んでいるあなたは鼻で笑うでしょう。
違うのです。
その答えは、世界のカナザワこと、國際松濤館空手道連盟創始者にして、「最強」と呼び声が高い、日本空手協会の第一回全国大会を、左手を骨折しながら制し、王者になった金澤弘和(かなざわ・ひろかず)最高師範のこの言葉にあります。
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「型の理解は、その人のレベルに応じて、である」。
要するに見た目を重視して、つまりポイントを稼ごうとして打つ型と、一つ一つの技の実践的な意味と、技と技とのつながり、型の哲学的な意図などを理解して打つ型では、武術的な優劣が無限大に違う、と言っているのです。
本当の型は武術の理にのっとっている
オリンピックの空手型の判定は、はっきりいってそこまで見ていません。
見てくれだけです。
誤解を恐れずに言えば、日本以外の型審判は、そこまで深く型を理解してないからです。
僕は日本空手協会の審判の方から、こんな話を聞いたことがあります。
「一動作、一つの技に正しい武道的解釈がない型は、どんなにきれいなパフォーマンスであっても、高得点はつけない」
要するに、こうした武道的、武術的な型を目指し訓練する「型競技」という体系がなければ、その空手は、勝負論以前の存在、ということになります。
極真カラテ諸派も、型競技を近年始めたところも出ています。
しかし、どうしても「型は審査に受かるために、直前に練習するだけだよ」、などとうそぶいていた、型軽視の伝統があるせいか、伝統各派の格調や深さには遠く及ばない印象です。
大道塾の論評をするはずが、最強武道論みたいになってしまいました。
ともあれ、型という技術体系を持って、対複数、対凶器に対応できるシステムを持つ空手こそが、真の武道ではないでしょうか。
武智先生の秀逸な弱者戦略論に乗っかって、拙い武道論を披露してしまいました。
失礼しました。
あ、一つ言い忘れました。
金澤先生は、空道創始者・東孝氏と、技術交流をしていたことがあるんです。
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このことは、両者は異なるものから学ぶ、という武道家の姿勢を持っていた証左であると思います。
近年、大道塾も全日本大会優勝者には、創作型を創る権利を与えるなど、型への理解が進んでいるようにも思えるのは、こうした交流の成果なのかもしれません。
金澤先生は、「あのローキックにはまいった」という言葉を残しています。
野呂 一郎
清和大学教授