今年、スポーツ界は人格がますます問われる
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:今年のスポーツ界はプレーのパフォーマンスだけでは、ますます評価されなくなる。その根拠は昨日やった意思決定理論で説明できる。スポーツは他の仕事と同等の規範になる時代が来た。
米野球殿堂入りは数字だけじゃない
今年は、プロ野球に限らずあらゆるスポーツで、ますます「人格」が問われる流れになっていきます。
年頭にあたって今年はどうなるか的な、予測をやろうと、近年の注目記事を振り返っているわけですが、3年前の記事ですが、今のスポーツ界をズバリ言い当てているような、評論を再読しました。
もともと殿堂入りの条件は、BBWAA(全米野球記者協会Baseball Writers' Association of America)の有資格記者が投票で選ぶもので、その基準はプレーの成績、高潔さ、スポーツマンシップ、人格(performance on the field, integrity, sportsmanship,character)となっています。
プレーの成績が、これまでは最重要であとは付け足しのような、審査だったのですが、近年それ以外の項目、特に「人格」の項目が非常に重んじられるようになったのです。
ツイッターやフェイスブックさえなければ
日本でもおなじみの通算762本のホームランキング、バリー・ボンズや、通算354勝のロジャー・クレメンスは、薬物疑惑ですでに選外になっています。
薬物問題は米国ではPED(パフォーマンス向上薬物問題Perfomance Enhancing Drugs)と呼び習わされており、この問題がかつては「人格問題」の大きなファクターでした。
しかし、近年は私生活でのDV疑惑、そしてツイッター(現X)やフェイスブックへの書き込みなどが、問題視されるようになってきました。
その良い例が通算216勝、通算防御率3.46、そしてポストシーズンにはめっぽう強かったカート・シリングです。
彼の「人格」に大きなマイナス査定が入ったのが、ツイッターへの書き込みでした。
ジャーナリストへの暴力を容認したり、LGBTQへの差別をあらわにしたり、2019年1月のトランプが指揮したと言われる、いわゆる議事堂暴徒乱入を賛美したことが、「人格項目」に大きな問題とされたのです。
米野球殿堂の動きは世界的現象
人格項目(Character Clause)は、75年前からの決まりでしたが、現代においては、その範囲がスポーツマン、ウーマンとしての不適切な言動全てに及んでいると言えます。
品性、常識、人間性をそなえているかどうか。
人格項目は、アスリートの本質を問うています。
スポーツがますますビジネスとしての側面を強くし、それを支える企業はアスリート=企業のブランドイメージとしてとらえることが当たり前になってきた現代において、人格項目はひとり米野球問題にだけ当てはまるものではないことは、もはや明らかです。
日本のスポーツ界は、勉強会などを催して、選手に注意を呼びかけていますが、アスリートも日頃新聞やテレビ、書籍等で世の中のことをよく知り、勉強しないと、足をすくわれる時代になったのです。
不適切な言動をしない、と上から言われるだけでは、十分ではなく、なぜそうなのかを理解しないといけません。
それには、勉強が、思索が必要だということであり、今までのようにスポーツだけやっていれば、上に上がれるという時代ではないのです。
「人格項目」は時代の要請だ
きのうの拙稿で、「自己決定理論」を紹介しました。
これは、「人間とは、努力によるパフォーマンスを称賛する生き物である」ことを証明した理論です。
スポーツによるパフォーマンスも例外ではありません。
いや、スポーツが見せる卓越性が、他のあらゆるジャンルでのそれに、まさるとも劣らない時代になったのです。
しかし、そのパフォーマンスは、よい人格を伴うべきである、と世界中の人々が声を上げ始めたのです。
それは、スポーツの地位向上を意味する、そう僕は考えます。
それにともなってスポーツマンの社会的地位も影響力も、上がってきており、彼ら彼女らは、必然的にそれに応じた社会的責任が問われる時代です。
スポーツのパフォーマンスが努力の積み重ねで達成されるならば、その行為者が人間性に違反した人格であってはならない、これは自然だと思います。
大谷選手の世界的ブームが、このことを物語っていますよね。
逆に、反面教師も芸能界で多く見られるようになりました。
今年は、いやもうすでに、「人格項目」は全人類の必須チェック項目になったのです。
野呂 一郎
清和大学教授