大槻ケンヂに学ぶ「ムーの知恵」。
この記事を読んで、あなたが得られるかも知れない利益:オカルト雑誌王「ムー」の愛読者として知られる、ロックバンド「筋肉少女帯」のボーカル大槻ケンヂの同誌連載が始まったのだが、いきなり「金言」が炸裂したお話。トップ画はhttps://qr1.jp/UhuDoZ
理論にだまされるな
雑誌ムーに関しては、これまで僕も何回か記事を書いていますが、その理由は一部経営学に関係するからなのです。
経営学に限らないですが、経営学や経済学といった社会科学と言われているジャンルにも、科学じゃないものが紛れ込んでいることがあったのです。
例えば、サブリミナル理論。
これは、映画館での実験で、映画上映前にポップコーンとコーラの絵をコンマ一秒くらいの高速で観客に見せたら、観客のほとんどが売店でポップコーンとコーラを買って、上映中に食したというのです。
サブリミナルとは潜在意識のことで、潜在意識は目に見えない高速の情報を把握し、それは行動につながるというのが、「サブリミナル理論」なのです。
当時、経営学、経済学の理論として、一世を風靡しました。
もっともらしい専門書がでたりして、「サブリミナル」は、画期的な理論としてもてはやされたのです。
しかし、今ではサブリミナル理論は、エセ科学として排除されています。
ホーソン実験、もそうです。
これは照明が労働者の生産性にプラスの影響を与えるとする理論のはずでしたが、実験の際、グループに分けて行ったのがアダになりました。
グループ同士が張り合って、競争して、結果としてどのグループの生産性も高くなり、実験は科学的な整合性に疑問を呈することになったのです。
それなのに、ホーソン実験は長く、「照明が適切であれば、工場労働者の生産性は上がる」と信じられていたのです。
オカルトも科学も大した違いはない?
日本の経済学、経営学って「輸入学問」と揶揄されることがあるんですよ。
なぜならば、その理論の実証はすべて欧米人が被験者になっているからです。
つまり、欧米の文化の中で経済活動をした個人の行動データに基づいているわけです。
でも、それを日本の経済に当てはめていいのでしょうか。
僕も嫌というほど体験しましたが、クリスマスというホリディシーズンでの、アメリカ人の購買行動の活発なこと。
日本ではありえません。
日本は金利を上げれば景気が冷えますが、アメリカはさほどでもないのです。
そうです、やはり日本の経済学は、日本人が被験者であるべきで、「アメリカの経済学をそのまま持ってくるバカがいるかよ」(アントニオ猪木)なのです。
そもそも、経済学が科学というならば、自然科学のように同じ条件で同じ結果を再現できなくてはならないのですが、それは実験不可能です。
経済学を科学というのは、そもそも無理があるのです。
だから、オカルトも社会科学も似たりよったりだ、という人が出てくるのです。
オカルトは経営学的には正しい態度だ
ただね、僕はオカルトを経営学に対してのある種の燃料ととらえています。
なぜならば、経営学がいつも渇仰するのは、イノベーションなんですよ。
イノベーション、これまでになかった、世の中に進歩をもたらす新しい発明、発想のことです。
オカルトはUFOだとか、心霊現象だとか、それこそサブリミナルなんてのもお得意な分野です。
要するに一言で言えば「非常識」です。
しかし、イノベーションはしばしば「非常識」から起こります。
非常識なマインドセット(心の態度)こそが、イノベーションと言っていいのです。
科学的というのは、絶対の真理というわけではありません。
だから、オカルトを擬似科学などと、バカにしていいわけではないのです。
UFOや幽霊や前世の存在だって、真剣に研究している科学者もいます。
そういう夢のある「ムー的な」発想こそが、経営学を豊かにするのです。
大槻ケンヂの知恵
さて、最新号のムーで、大槻ケンヂがなんと言ったか。
それは、「ムーをやたらに見せるな」ということです。
僕はこの態度に感心したのです。
要するに「誤解を招く、世間に白眼視されている思想をひけらかしたところで、アンチはいきりたつだけだから、わかる人たちだけと分かち合え」、というのです。
大槻ケンヂのこの心的態度は、処世訓にも使えるのではないかと思うんです。
要するに、あなたの発想や価値観の豊かさは、ぶっ飛びすぎて他者にはわからない。
わからそうとして、話せば話すほど虚しいのです。
天才のフィーリングは、しょせん凡人にはわからないのです。
ですから、わからないやつにあなたの非常識をわからせようとしないことです。
でも、noteなら安心ですよね、あなたの意見が嫌いならスルーしてくれますから。
中村修二方式で行こう
この話で思い出すのが、2014年、青色発光ダイオードの発明で、ノーベル物理学賞を受賞した、中村修二先生です。
彼はたった一人で、実験器具を自前で作るところから、実験まで一人で行い、大発明を完成させました。
徳島の田舎で、ノーベル賞級の発明なんてできっこない、これが当時の人々の「常識」でした。
彼の成功は、普通の人の常識にまったく耳を貸さなかったことです。
あなたも、このnoteを見てくださっているのならば、「非常識」なはずです。
信じるものがどんなにぶっ飛んでいても、それを信じて前に進めば、きっとなにかいいことがあります。
中村修二さんのように。
でも、大槻ケンヂのように、その非常識は、わかってくれるヒトとだけ、共有したほうがいいかも、です。
野呂 一郎
清和大学教授