弁護士をホームドクター化すれば日本経済は復活する。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:知的財産権の保証が経済を成長させ、イノベーションをおこさせるという経済法則。なぜ日本人がリスクをとらない、とれないのか。弁護士をかかりつけ医のようにすることが経済活性につながる論。トップ画はhttps://qr.quel.jp/pv.php?b=3oNMzFb
リスクを取ることが経済の成長につながる
経済学の法則その6はこれだ。
知的財産権がイノベーションを加速させる(Intellectual property rights boost innovation)
概要は以下だ。
まあ、この経済原理ももっともだと言うしかない。
この原理は、リスクを取ることの勧め、とも読めるね。
リスクをとっても、でも、イノベーションは手に入らないかもしれない。
この経済原則は、「リスクを取る」という欧米の価値観をベースにしているのではないか。
まあ東洋にも虎穴に入らずんば虎子を得ず、という格言があるけれどね。
そもそも、リスクテイクの文化は日本には乏しいとはいえるだろう。
よく、欧米では日本で立入禁止の場所にこんな看板が立っている。
Enter at your own risk (入ってもいいけど、お前自身のリスクで入りなよ)
これが欧米文化だ。
まずは入れよ、というわけだ。
でも、リスクを覚悟してな、と続く。
入るな、じゃなくて、自分でリスクを計算しろというところがミソだ。
日本は一律禁止を押し付けてくる、欧米はあくまで自分で考えろ、という思想なんだ。
今年から高校の家庭科で金融経済教育が本格化すると言う。つまり、資産形成について教えると言う。
資産形成の本質はリスクテイクだ。
だから、日本の文化には合わず、それゆえ学校で教えることはなかった。
数学に優れた高校1年生を、いきなり大学に入学させる飛び級も、ある意味リスクテイクと言えるだろう。
日本は、キミみたいにコンピューターがいくらできても、大学に無試験で入れたりはしない。
それは、失敗した時に責任を取りたくないからだ。
きちんと人と同じく、高校3年生までみんなと同じ教育を受けて、大学に進ませれば、誰も責任を問われない。
年功序列も、リスクを取らないシステムに他ならない。
若くて優秀なものを出世させて、失敗したら誰かが責任を取らなくてはならないからだ。
こうした、リスクを取りたがらない日本の文化を、農耕文化に結びつける向きもある。
日本人のルーツである農耕社会では、人々が和と調和を持って働かないと作物が育たないから、仕事ができるものを優遇するリスクをもともと取らなかったというのだ。
キリがないからこのくらいでやめておくが、リスクをとらないとイノベーションは生まれないとする、この経済哲学は欧米文化からきていると言っていいだろう。
知的財産権も欧米文化だ
そして、この経済法則は、著作権、特許権を強調している。
著作権、特許権がイノベーションのためにリスクを犯すあなたを守ってくれる、というわけだ。
著作も特許も、個人の権利であり、そこからして集団主義の日本の文化では異物、と言っていいかもしれない。
そして、それを守るという段になると、日本と欧米は格段にギャップがある。
思うに、アメリカは弁護士が身近だ。
市民感覚として、弁護士はホームドクター(かかりつけ医)くらい親しい存在だ。
しかし、日本はいまだに弁護士は敷居が高い。
著作権、特許権を実際に行使するかは別にして、こうした法律がどのくらい生活に根付いているかも、この法則が生きるかどうかに関係している。
日本でも「発明でお金儲けしよう」、そんな本はここ半世紀くらい、ずっと出ている。
民間の発明家も多数いる。
でも、知的財産権の知識が社会に十分行き渡ってないから、イノベーションをおこすきっかけとなる小さな発明はまだまだ少ない。
人を出し抜いて自分が何かをして目立つことを、知らず知らずのうちに避けているという文化があるのではないだろうか。
知的財産権の考えや、発明発見の申請から特許取得までの、実践的知識が広まってない。
そのためには弁護士をもっと身近なものにして、例えば特許申請のプロセスをもっと簡略化したらどうだろうか。
こうしたことをきっかけに、イノベーションへの社会的な興味が高まり、経済も刺激を受けるのではないだろうか。
以上、今日僕が言いたかったことは以下だ。
今日は殺人的に暑かったね。
くれぐれもご自愛を。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー