「アオーレ長井」と「雑誌Number」の奇妙なシンクロニシティを読み解く
この記事を読んで、プロレスファンのあなたが得られるかもしれない利益:
ネタバレになるので、今日はちょっと控えます。
アオーレ長井の深謀遠慮
昨日、新潟プロレス・レフリー・アオーレ長井がプロレスラーの安心、安全を、いや命そのものを守っている実際を紹介した。
しかし、考えたのだ、アオーレ長井は今頃笑っているんじゃないか、と。
「しょせん、お前らの考えていることはその程度だな」と。
どうしてそんなことを言うのか。
「ナンバー」と「アオーレ」のシンクロニシティ
僕は勤務先の大学で、スポーツマネジメントも教えているので、スポーツの総合誌「ナンバーNumber」は毎号必ず読んでいる。
プロレス特集号なども出ているが、時折、プロレスを下に見るような記事も載せる。プロレスをいいように利用するんじゃねぇ、と思いつつも、プロレスに、プロレス経済学にヒントがないか、目を凝らしている。
今週号は、と言っても隔週マガジンだが、駅伝特集だった。
一通り読み終リ、今日もプロレス関係の記事はないのか、と腹ただしい思いで最後のページをめくろうとしたら、「プロレスのロープ」という単語が目に飛び込んできた。
プロレスファンは、プロレス単語には一般人の10倍速く反応すると言われている。(ほんとか?)とにかく僕の中のプロレス・センサーはこの単語を見逃さなかったのだ。
昨日アオーレの記事を書いたあとに、偶然にもこのワードを含むこんな記事に出くわしたんだ。
いや、この記事を紹介する前に、言いたい。
世の中に偶然はない。
シンクロニシティという言葉がある。
同時期に現れた、2つの奇妙な出来事。それは一見偶然に見えるが、偶然ではなく2つの関連性を考えさせるために、「神」が起こした超自然的な必然という意味だ。
シンクロニシティについては、僕の過去記事を読んでくれ。
このロープに関する記事と出くわしたのは、アオーレ長井のあの行動をもっと深く読み解け、という神からの挑戦なのだ。偶然なんかじゃない。
プロレスのロープワークの本当の意味
一部引用させてもらう。
アオーレがロープに飛んだ本当の意味
この記事を読んで、アオーレ長井がスパナを持ってリングを駆け巡った、本当の理由がわかったのだ。
それは単にレスラーの命を守るため、だけではなかった。あの一連の行動は、実はもっと奥が深かったのだ。
読者よ、僕の拙い推理はこうだ
僕らは何気なくプロレスを見ているが、プロレスの一流と二流を分けるのは、実にロープワークなのだ。
ナンバーの記事を思い出してほしい。
ロープの調節は実は興行全体の調節である
しかし、レスラーのロープワークをダイナミックに、美しく見せることは、戦略的頭脳がないと、実はできない。
戦略的頭脳とは、まず全体を把握して、部分を考える頭の働きのことだ。
アオーレ長井は、まず全体の試合の流れを把握して、どの試合に誰のどういうファイトぶりが、どういうロープワークを要求しているかを把握していた。
第1試合は若手同士で、橋本が関節技オンリーで吉田を攻め立て、ロープワークはほとんど使われなかった。
第二試合はベテラン谷口の、若手にはできない「口のプロレス」だ。
合いの手を入れたり、相手に罵声を浴びせたり、レフリーにささやいたりのベテランのパフォーマンス・ショーという塩梅だったので、ロープワークは必要なかった。
しかし、第3試合以降は、重量級でロープに大きな負荷をかけるレスラー、ロープワークを駆使し、試合を組み立てる選手がでてくる。
前者はGAINA、関本大介、後者はシマ重野、だ。
アオーレのロープチェックは、彼らのパフォーマンスの美しさと効果を最大にし、観客に見せつけるための、合理性だったのだ。
それも興行全体の意味を考え、興行の後半に活躍すべき3選手を引き立てる合理性を踏まえての、ロープ調整という行動だったのだ。
ナンバーの記事は
と言っている。
アオーレは、関本、GAINAそしてシマ重野のファイトスタイルを熟知、3人の最大公約数的なロープの締り具合を調節したのである。
スパナを持ってリングに登場した、アオーレの表情が、真剣そのものだったのは、ロープの張りの具合で、関本、GAINA、シマ重野のパフォーマンスに決定的な影響を与えるからだ。
ロープの張りかげんで、いい試合になるか、ダメな試合になるかが決まる。
それは、常に至近距離で選手に接しているレフリーならではの観察眼と感性と言えるだろう。
しかし、それよりも、なによりも「興行を成功させなくてはならない、お客さんに満足して帰ってもらわないとならない」との使命感であろう。
アオーレがさばいた18日の試合。
ファンは「今日の試合は良かった、重野のフィニッシュ・レールガンドライバーは今年一番だった」などと話しながら会場をあとにした。皆、満足げだ。
ロープワークは科学であり、芸術でもある
しかし、フィニッシュを堪能する前に、見事な美しい、ロープワークがあったことを忘れてはならない。
ロープワークとは、フィニッシュの前奏曲であり、試合をもり立てる名脇役である。
目立たないが、これがないとファンはプロレスを見た気がしないのだ。
UWFの崩壊は結局、ロープを使わないプロレスの限界だったのかもしれない。
ロープワークは奥深く、実は、ファンの目には見えない。
ロープを掴んでのストンピングは、レスラーの身体を安定させる分、
効く、という。
しかし、ロープを調整する技術は、もっと目に見えない。試合を裁く経験を積み重ねて、身体で覚えるしかない。
プロフェッショナルの矜持
プロレス興行の成功は、こうした目に見えない努力に支えられている。
アオーレ長井は、今頃この勝手な推理を読んでこう思っているかも、だ。
「フン、やっとわかったか。でも、ちょっと野呂もわかってるじゃないか」。
いや、やっぱり、こんなことは言わないし、思ってもいないな。
新潟人だもの。えらそーにしないよな。
でも、プロレスのレフリーという仕事を、選手の安全を守り、興行を成功に導く「プロフェッショナル」として誇りに思っている、かもしれない。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。
アオーレさん、好き勝手に書いてごめんなさい。
野呂 一郎
清和大学教授
新潟プロレスアドバイザー/新潟プロレスマガジン編集長
みなさ~ん、新年1月23日、黒埼市民会館。メインは
シマ重野vsGAINAの無差別チャンピオンシップですよぉー。
ぜひ見に来てくださいっつ!アオーレもでますよ!